掲示板 暗号「山上憶良」



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75件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[79] 『邪馬台国の全解決』を読んで

投稿者: MM3210 投稿日:2018年 7月 5日(木)16時46分20秒 softbank126057149050.bbtec.net  通報   返信・引用

暗号山上憶良@mm3210desu6月22日 https://twitter.com/mm3210desu/status/1010101901633843201
『邪馬台国の全解決』を読んで http://www.geocities.jp/yasuko8787/180427.htm

孫氏の論証は、呆け老人には難しすぎますが、「一大率=伊都国王=卑弥呼の男弟=難升米」という推論が間違いであることは指摘できます。

なぜなら、「魏志倭人伝」に、「伊都国には 代々王がいて、ずっと女王国の支配下にある」とあることから、「伊都国王=卑弥呼の男弟」は成立しない、と断言できるからです。

ところで、「後漢書倭伝」には、倭国の極南界の「倭奴国王」に印綬を賜ったとあるのに、偶然志賀島で発見された金印には、「漢委奴国王」と刻まれていました。

異国の王に下賜する王印に略字は使用しないはずですが、聖徳太子の著書に、「大倭国」を「大委国」とした例があるということを理由に、「委」は「倭」の略体であるとみなされています。

上記において、昼夜逆転氏の投稿が非常に参考になりました。ありがとうございました。

投稿者: 昼夜逆転 投稿日:2018年 1月 1日(月)06時42分22秒 softbank221084138236.bbtec.net
若い頃、ハンコ屋の営業をしていた私は、その印面の文字がどれほど重要か、普通の人間以上に良く知ってるつもりだ。

金印の「委」という次が「倭」の略字であると、馬鹿なことを言ってる者がいるが、それは100% 無い。
大事な「国名」をしかも外交上の手段として使う「印」に彫るのに、略字を使うことは当時なら猶更あり得なかったろう。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0mokuzi.htm




[78] 雄略天皇=(行基)聖武太上天皇

投稿者: 銀河 秋彩 投稿日:2018年 7月 5日(木)13時36分51秒 nthrsm054134.hrsm.nt.ngn.ppp.infoweb.ne.jp  通報   返信・引用

「法師≪弁基≫=還俗して≪春日蔵≫首老=渡唐した(借名の)憶良・弁正(行基)」

 「(怪人二十面相と逆の善人版)同一人物の略歴」・『万葉集』は、【聖武太上天皇一代記】でもある。

 「同一人物の略歴(怪人二十面相と逆の善人版)」『万葉集』は、【聖武太上天皇一代記】でもある。

西暦660(斉明六)年生誕=「(御所ケ浦島で生まれた)浦島子」=【厩戸皇子(聖徳太子)】
=【父・天智系大伴氏(春)弘文天皇は、「壬申の乱」で天武側に寝返った物部・麻呂に殺される】
=【母(推古)方の家(藤原氏)に預けられた(安寿・太伯皇女と)厨子王・聖徳太子】
=【母・推古太上天皇の葬儀の際に、出家した大津皇子(鳥仏師=大臣仏師・元興寺の僧)】
=【天武(崇峻)を弑逆し、摂政太政大臣★雄略天皇(最初の即位・上宮法皇)】
=【天文遁行に優れていた(天武条下巻は、雄略天皇条)、梓弓の久米(仙人)禅師に、役行者】
=【莫逆の友・川島皇子(大伴氏)に、皇位を降ろされる(天から落ちた久米仙人禅師)】
=【家持の言う「山柿(人麻呂&赤人&憶良)の門」の、
  (西暦686年・朱鳥元号の書きの基の 一麻呂、官房長官) =「★官房長官」人麻呂公】
=【(雄略天皇&人麻呂)の恋人・桜児(鵜野讃良皇女・持統太上天皇)、藤原不比等へ走る】

=【西暦702年渡唐。遣唐大使より格上の節刀使・粟田真人(大津皇子)】
=【また、法師≪弁基≫=還俗して≪春日蔵≫首老として渡唐した(借名の)憶良・弁正(行基)】
=【(新羅王武烈・唐軍の百濟鎮將・劉仁願=天智天皇)の縁り(孫)の者、
  ★弁正(小弁)として、玄宗と囲碁を打つ】
弁正が勝ちそうなのを見て、横に居た楊貴妃は、仔犬を盤上に落とし、玄宗の負けを判らなくした・『懐風藻』
渡唐時に、★天竺(インド)まで行って還って来ている。
【私見】は、「【馬(●蘇我氏)&孫悟空(▼鷹派 物部氏)&猪八戒(▲鳩派 物部氏)
&沙悟浄(◆藤原氏)】&玄奘三蔵」=【行基(聖武太上天皇)】
  南天竺より東大寺供養にあひに、菩提が渚に来着きたりける時、【聖武太上天皇が】詠める
霊山の釈迦の御前に契りてし真如朽ちせずあひ見つるかな 1348『拾遺和歌集』
  返し  婆羅門僧正【菩提僊那=大仏殿に向かって右入り口横の、びんつる長者】
迦毘羅衛(かぴらゑ)に共に契りしかひありて文殊の御顔あひ見つるかな 1349

=【唐から帰国後、持統(桜児)挽歌の、泣血哀慟歌(巻二・二○七~一九)を読む】
=【長屋親王を自頚させた囲碁相手・中臣宮処東人(藤原南家武智麻呂)を斬殺した、大伴小虫】
=【西暦740年、(大伴小虫は)中臣朝臣宅守として★佐渡流罪。】
天の川安の川原に定まりて神し競へば麻呂待たなくに  人麻呂歌集(巻10・2057)
  この歌一首は、庚辰の年(西暦740年)に作る。
  それを知っていた芭蕉は、
  「荒海【安羅の海人】や佐渡に横たふ【佐渡流罪】天の川【泉郎の大津皇子】」と詠む
=【元正太上天皇から譲位(二度目の即位)三年間の税免除・聖武太上天皇(行基・沙弥勝満)大仏殿建立】
=【西暦755年、藤原(南家=物部氏)仲麻呂謀反に依り、隠岐島(終焉地)流罪の麻績王(人麻呂)】
=【西暦759(天平宝字三)年、人麻呂や最終歌の家持(に借名の、聖武)★終焉地隠岐島にて、死没】

http://ginga3396.blog.fc2.com/



[77] 「漢委奴国王」について

投稿者: MM3210 投稿日:2018年 1月 2日(火)10時50分14秒 softbank126111092232.bbtec.net  通報   返信・引用

画像の追加

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0mokuzi.htm



[76] 「漢委奴国王」について

投稿者: MM3210 投稿日:2018年 1月 2日(火)10時46分25秒 softbank126111092232.bbtec.net  通報   返信・引用

「後漢書倭伝」の原文には、「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」とあります。

一方、「魏志倭人伝」の書き下しには、次のようにあります。

「東南陸行。五百里。伊都国に到る。官は爾支といい、副は泄謨觚、柄渠觚という。千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所」

「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う」

ところで、『新大字典』(講談社)によれば、「伊」には、「天下を治める聖人」という意味があるので「伊都」とは、「天下を治める聖人の都」ということになります。

それゆえ、「使人はみずから大夫と称した」という国は、自国を「伊都国」と称していたのではないかと考えられます。

もしそうなら、「魏志倭人伝」のように、邪馬台国に取って代わられた国の名としてなら「伊都国」が使えても、「光武賜以印綬」とある「後漢書倭伝」では、そのまま使うことはできなかったでしょう。

そこで、発音が似た漢字が用いられたとすれば、「伊都国」が「倭奴国」や「委奴国」と表記されていてもおかしくないことになるのではないでしょうか。

ところで、「現在の中国でも、重要な外交使節には中国の国璽のレプリカを贈ることをやっている」とあるので、「中国の国璽」を検索してみたのですが、画像のように、それらしいことは見つかりませんでした。

よろしければ、情報源をお教え下さい。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0mokuzi.htm



[75] 「漢委奴国王」の読み間違え

投稿者: 昼夜逆転 投稿日:2018年 1月 1日(月)06時42分22秒 softbank221084138236.bbtec.net  通報   返信・引用

若い頃、ハンコ屋の営業をしていた私は、その印面の文字がどれほど重要か、普通の人間以上に良く知ってるつもりだ。金印の「委」という次が「倭」の略字であると、馬鹿なことを言ってる者がいるが、それは100% 無い。大事な「国名」をしかも外交上の手段として使う「印」に彫るのに、略字を使うことは当時なら猶更あり得なかったろう。
この「委」は、文字通り「委ねる」という意味でしかないだろう。
つまり「漢委奴国王」の意味することは、「漢は汝(奴)に国王を委ねる」というまさに「漢の国璽」の印面を示している。つまり、この金印は外交上、他国に贈呈する国璽のレプリカということだ。国璽のレプリカだからこそ「金製」なのである。ただ、実際の国璽よりも一回りか二回り小さいハズである。
そしてその証拠に、現在の中国でも、重要な外交使節には中国の国璽のレプリカを贈ることをやっている。



[74] 「枕草子」の作者

投稿者: MM3210 投稿日:2017年10月28日(土)23時20分1秒 softbank126111092232.bbtec.net  通報   返信・引用   編集済

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」に始まる「土佐日記」が、男性紀貫之の作ならば、「源氏物語」や「枕草子」の作者が、「いろは歌」の作者であってもおかしくないのかもしれません。

http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0mokuzi.htm



[73] いろは歌の作者は、清少納言

投稿者: 銀河 秋彩 投稿日:2017年10月28日(土)19時38分54秒 wmx2-pvt-251-134-255-123.kualnet.jp  通報   返信・引用

「いろは歌」の作者は、空海では無く、清少納言である!
いろは歌(七行書き)「咎なくて死す」・清少納言 作
人麻呂隠岐島流罪地【終焉地】⇒ いろは歌(七行書き)「咎なくて死す」・清少納言 作

色は匂へど散りぬるを いろはにほへと ちりぬるを
我が世誰ぞ常ならむ     わかよたれそ つねならむ
有為の奥山今日越えて    うゐのおくやま けふこえて
浅き夢見し酔ひもせず    あさきゆめみし ゑひもせす

        ↓(七段書き・縦に読むと、「咎なくて死す」)&
★いろはにほへ と
 ちりぬるをわ か
 よたれそつね な
 らむうゐのお く
 やまけふこえ て
 あさきゆめみ し
  ★ゑひもせ★す

★左上、角 ★左下、角 ★右下、角 が、「いゑす(イエス)」

http://ginga3396.blog.fc2.com/



[72] 呆け老人の悪あがき

投稿者: 暗号山上憶良 投稿日:2017年 8月28日(月)17時39分44秒 softbank126111092232.bbtec.net  通報   返信・引用

銀河 秋彩さま

ご投稿いただいても、ご返事をまとめることが出来ない呆け老人は、
ツイッターに、次のような書き込みをしています。

ご了承のほどを。
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IQ208の天才囲碁棋士・牧場智久に伝えたい!!

七面山敬慎院が創建されたのはいつか
www.geocities.jp/yasuko8787/80621.htm#souken

せめてインプレッションだけでも消滅させたくない呆け老人の悪あがき
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http://www.geocities.jp/yasuko8787/170619.htm



[71] 投馬国(←とまや=苫屋・倒語=やまと→)=邪馬臺(やまと)国

投稿者: 銀河 秋彩 投稿日:2017年 8月28日(月)04時18分51秒 wmx2-pvt-017-170-224-119.kualnet.jp  通報   返信・引用

『魏志倭人伝(通称)』の正しい行程(簡略版)・「55m/倭人里」
http://ginga3396.blog.fc2.com/blog-entry-1125.html

會稽郡東冶懸の東側に在るのは、
(発祥地)投馬国(←とまや=苫屋・倒語=やまと→)=邪馬臺(やまと)国・トカラ列島宝島である!
http://www.kurumi.sakura.ne.jp/~mmrnet/yamataikoku/yamataikoku2.htm...

●「倭が君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」は、
平安時代の日本国・大和朝廷(梨壺)の、馬内侍・清少納言 作・『古今和歌集』。
君臨者・倭が君(臺与~)を、鍾乳洞の雄大さを取り入れて謳っている!

http://ginga3396.blog.fc2.com/



[70] 菅原道真は、万葉集の作成者では無い!

投稿者: 銀河 秋彩 投稿日:2017年 8月28日(月)04時07分43秒 wmx2-pvt-017-170-224-119.kualnet.jp  通報   返信・引用

『万葉集』は、【平安時代の日本国・大和朝廷の馬内侍(清少納言)の監修】である!

東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花【鵜野讃良皇女】
主【雄略天皇】無しとて春【天智系】な忘れそ  菅原道真

雄略天皇&(行基)聖武太上天皇は、ベッドの脇に(元々は梅子だったと思われる)桜児(持統太上天皇)のモデル・「樹(梅)下美人図」=「鳥毛立女屏風」を眺めながら……。鶯が雄略天皇。

http://ginga3396.blog.fc2.com/


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