知心剣



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


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[97] (無題)

投稿者: ゆり 投稿日:2016年 1月25日(月)00時01分43秒   通報   返信・引用

当たり前の毎日にちょっと変なことが起きた
酔ってないのに記憶がなくなる
例えばポストの暗証番号
親の誕生日
無かったかのように空白で動揺した

なかった記憶が卒業の単位数とか今まで付き合った彼氏の数とかそんなんだったら気にしなかったのに
毎日繰り返してること、そして私の根っこまで“無い”

どういっていいかわからない。基礎的なものが徐々に抜かれてく
そんな感じだった

あったものがなくなっても思い出せないからおかしくはないけど、
なんかもどかしい

開くはずのものが人の手を借りないと開かない



続く。

記憶を盗むのは人になりたかった人なんだけど、盗んでまで人になりたい理由が見つからない




[96] 気持と天気 共に快晴

投稿者: ゆり 投稿日:2015年11月30日(月)14時10分25秒   通報   返信・引用

空が晴れた
気持ちいい快晴だった
その空を見てこの数か月間晴れた空を見たことが無かったことに気付いた
晴れの天気の日はいっぱいあったはずだけれど、自分の気持の中に靄がかかってて、サングラスをしたまま世界を見ているような感じだった

人間関係は難しい
いつも『この人をどれくらい信じていいんだろう・・・・』って考えてた
付き合いが長くなればなるほど義理というか情と言うかそんなものが湧いて
相手の行動が自分の道理に反することでも何となく許容してしまう
周りの人が相手の事を“優しい”とか“頭いい”とか好評価される人だと特にそうで、お互い意見の違いがあった時は私が間違っているのかと思ってしまう
納得できないけれど“大切な人”だし理解するよう努力しようと考える

“大切な相手”の行動が理解の範囲を超えていたので暫く考えるのを止めていた
そしたら
もう一発強烈なパンチを入れられた所で頭がクリアになった

『相手をどれくらい信じられるんだろう・・・・』って思考に走ってる時点で関係は終わってるんだと
相手がどんな人間性であれそれが重要なわけではなく
自分の中に相手を疑う気持ちそして損得を考える時点でその相手には手放しで気持ちを寄せられる人ではないということ
長い付き合いだから、今までいろんなことしてもらったから
そんなのは理由にならないものなのだと

凄く大好きな音楽や映画に触れている時、その時にその音楽性とか客観的な価値とか気にならない
ただただ気持ちよく素直に感じられる
疑いなんて存在しない

それと同じように
信じられる信じられないの天秤が自分の中に湧き出てくる相手なのかどうかって事が大切なんだと思った

あと気付いたのは
お金が介在している仲は長く付き合いが続くことが多い
お金というかハッキリした利害関係が介在していることの大切さ

友だち恋人など、相性がいい部があると『それってどうなの?間違ってない?』と思う事も“情”を理由に許してしまう
情って凄く厄介でお金と違って割り切れない
割り切り方も人それぞれでルールもまた人それぞれなので
本当に切羽詰まった時など顕著になるけれどトラブルの元になる

金銭のギブ&テイクはハッキリしているし
お金が絡んでいたらお互いの間に一線が引かれて越権行為をされにくい
情の繋がりは甘えや自分の都合が時と場合によって強く出てきてしまうので自分が相手の領域を侵さないためにもお金での割り切りは大切なのだと思った

自分自身の価値観や感情だって秋の空くらいいい加減で脆い
だからそんな不安定な物を信じるより何かを気持ちいいとか大好きだと感じている瞬間の感情だけは信じてもいいのじゃないかと思った
本当に楽しそうな目そして笑顔
人を信じられる時はその感じてる瞬間だけ
思考は曖昧で嘘だらけ
個人的都合により大きく変動があり
その変動を上手に読み取る能力がない場合は、大雑把にザックリと裏切られてもいいやと本能的に思う相手を、理屈じゃなくて根拠がなくてもいいから好きだと思える相手を大切にすること

相手を疑うと同時に人を疑わずにいられない自分自身を嫌いになる
大切な人ができたら『信じてもいいんだろうか』って判断をしなくちゃいけない機会を相手に持たせないようにしたい

久しぶりの快晴がその空気が身体の中を通って何となくだけど身体が軽くなる気がした



[95] (無題)

投稿者: ゆり 投稿日:2015年10月21日(水)22時17分0秒   通報   返信・引用

携帯壊して連絡先飛んだので
どうしても連絡を取りたい人のためにフェースブック始めたらすごくてビビった
ルーツが明ら書過ぎて怖くなった
初めて好きになった人の動向が分かって、
大好きだった人が撮った写真は、写る建物を見るとお互いに二駅範囲内にいるのが分かって
擦り合った相手の母親の顔が見れて
遺伝子の冒涜な感じがして吐き気がした
ルーツが分からないから触っても痛くないのに、
ルーツが分かると正に遺伝子を犯しているようで性的に立たなくなる
性欲があるのに、女の股から生まれたって連想できる相手に触れたくない
誰だってお母さんから生まれているんだけど、母親と女って性が理解できないから、顔が母親と似てる男の人を見ると女性器が想像されてグロテスク
遺伝子って気持ち悪い
特別に教育が厳しい家庭に育ったわけでもないんだけど、性に対しての抑圧はあって、
もしかしたら、反射神経的に性的本能に従ったことの後悔を母親から感じたのかよくわからないけれど、本能は汚い、体が触れてわく情も恥ずかしいことと思う癖がある
感覚的な反応に対して嫌悪感があるのに、感覚はわくっていう
母親の性に対しての価値観、そして私が自我を繕時の教育にまだどう消化していいのか分からなくて
自傷が安心につながる理由も過去の母親との交渉が大きく影響しているんだろうなと思う
女の人の性的な意味が凄く嫌いなのに、自分の女の性的なニオイがたまらなく好きで
嫌いは好きの裏返しで
女であることをそれでもいいと思えることは死ぬまでに消化できるか分からないけれど、理解できないことは想像力に繋がるから美味しいはず
動物と人間の違いが理性なら、大切な人が泣いてる姿を見て動揺してるのに性欲があるのが、単に嫌だ
感情で本能を失うのが人間なのに、例えば凄く好きな人ができて食欲も湧かなくなるという生存本能を脅かすことができるのが人間なのに、
考えても考えても答えがどこにもない不安の中で性欲がおッ立つのは、動物すぎるんだろうなと情けなくなったり
少しだけ情けない自分を認める努力をしてる
可愛い子が泣いているときに、同情して慰めてる傍らでそこは充血してる



[94] ムーの定食屋

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年10月 1日(木)09時12分36秒   通報   返信・引用

人生で2度だけたどり着いたことがある“ムーの定食屋”

もしかしたらもう何度かたどり着いたことがあるのかもしれないけれど、記憶にあるのは2度だけ

1度目は単なる夢だと思ってた

でも今回はその場所が高田馬場にあることをハッキリと認識できた

高田馬場の奥の方に神楽坂よりキツイ坂があって、その坂を上っていくとゲームセンターがたくさんある小さな街がある

そのどこかの路地に入ると洞窟っぽいところがあってそこに入っていくとムーの定食屋がある

洞窟の中はあまり大きくないけれど、岩肌を昇ったりしなきゃいけないから相当ハード

洞窟の出口近くに店がある

最初に通った時は「何でこんな場所にみせがあるんだよ」と思って気になった程度だった

店の中ものぞかなかったけれど圧倒的に記憶の中に残った

今回も何故かムーの定食屋までたどり着けたので、店の中を少し覗いてみた

両手で岩肌を抑えて身体を浮かしている辛い体制だったのでちょろっと覗くのが精いっぱいだった

日本の殺伐とした昭和感ある作りではなく、ヨーロッパの片田舎にぽつりとありそうな内装の雰囲気

壁にかかってる鍋は日本のものではなく海外のものっぽい

取っ手と鍋の素材が同じ感じの鍋

二日酔いだったためか定食屋の匂いがどんなものか分からなかった

フッと人影が動いたので「ヤバい」と思って入り口から離れ洞窟の出口に向かう

岩肌を手掴みで昇っていくから、気持ちが焦ってもなかなか進まず

やっと洞窟から抜け出したと思ったら、目の前にムーの定食屋の亭主がいてビビった

年齢は30代後半だろうか
日本人でこんなに頬から髭が生える人がいるのかと思うくらいモジャモジャの髭が顔の7割を覆ってる
縮れた髪の毛は肩甲骨の辺りまで伸びていた

「なんだ、冷やかしか」的な事を言われて、怖くてダッシュでその場から離れた

ムーの定食屋はまだ夢の中でしか行ったことないけれど、もしかしたらいつか現実に辿りつける気がしてならない

高田馬場には“奥”が存在する

どの街にも“奥”があるわけではないけれど、確実に“高田馬場の奥”は存在する

そんな気がした

でもムーの定食屋はお酒おいてなさそうだな・・・・



[93] 人間関係 そして 感情

投稿者: ゆり 投稿日:2015年 8月26日(水)14時36分39秒   通報   返信・引用   編集済

人間関係は目的のためのツールに過ぎない
世の中人間関係に大きな幸せがあると考える人も多いと思う
家族、友人、恋人などなど
ただ、人によっては人間関係が単なるツールに過ぎない人もいるのかもしれない
交通手段のどれが一番有能かは何を重要視するかによって違ってくる
地方に行けば車がないと生活できないけれど都内では維持費や渋滞を考えると電車の方が便利である
だから何が一番かは条件による
電車が好きな人は単なるツールではなくそれ自体が目的になる人もいる
車マニアもそれぞれその道のロマンがある。
ただそれが単なる移動のツールと考える人もいて、人間関係にロマンを持つ人もいればそれが単なるツールであり、ほかの事にロマンを持つ人もいる
家族との関係性や恋人との円満な関係に幸福を感じる人は世の中に多いと思う
人間関係は未知数で、誰にも共通する幸せのツールになると考える人も多いけれど、どんな場合も少数派は存在する
人間関係の熟成は私に幸せを与えてくれると思っていたけれど、安定思想の人たちが抱きがちな年数の積み重ねにより得るものが大きくなっていくという価値観に流され洗脳され、年数を積み重ねた友情という安易な売り物に目がくらんでいた。心や頭で考えなくても年数だけつんどきゃいいやって適当にやってきた
結果、積み重ねの先には何も作り上げられたものは存在しなかった
人間関係の構築どころか単なる依存と憧れがあるだけだった
人間関係に幸せを見出すかそれともそれは一つのツールと考えるか
その二つの選択があり、その割合も人によって違うと結論付けることによって感情的に苦しめられてた数日間に幕がおりた

それと感情について今すごく興味がある
まず、感情は何なんだろうと考えてみて最初に思ったのは、感情は自分の都合に良いか悪いかでわくことがある
忙しい時に頼まれごとをするとイラッとする。それは自分の都合が悪いときにさらに物事をかぶせられたことで不都合が増すから
あとは知人が死んで悲しみを感じるのは過去の楽しかった記憶を思い出し、二度とその楽しみが手に入らないということから悲しみがわくと思う
人が死んでなぜ悲しむのか
死んだ本人がまだやり残したことがあってその残念さを思い悲しみを感じる人は多くないと思う
二度と会えない、けれど相手が会いたくないと私のことを思っていた場合悲しみはわくだろうか
死んだ人間が人生楽しかったーごちそうさまって死んだら、その人の死に悲しみはわくだろうか

感情論で物事を話すとき、その根本にあるのは都合の良し悪しだ
好き嫌いの判断は気持ちいいかそうでないか、そして都合が良いかそうでないか
自分の積み上げてきた価値観に反するか反しないか
友だちの旦那さんが死にそのお葬式に参列したが初対面が死体だったので悲しみは湧いてこなかった
友だちが泣き崩れる姿を見て涙が出てきたが、それは彼の死に対する私の感情ではなく、友達の心からの悲しみに感染しただけだ
あくびがうつる的なことだと思う
その場で感情の感染以外で悲しみを感じないことは人としてどうなんだろうと思ったけれど、生前一度も会ったことも話したこともなく振り返る思い出が一切ない相手に対して悲しいと思うことはあるのだろうか
この経験から、自分にとっての都合不都合と振り返る記憶が感情を起こさせることがあるのは分かった
ってか感情って何なんだろう
感情の何を知りたいか自体漠然としていてどうアプローチしていいか不明



[92] 財産

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 7月23日(木)03時55分6秒   通報   返信・引用

自分の太ももが嫌いだ
うなじの形が悪かったら見えないから苛立たないのに、太ももはふとした瞬間に目に入るからイライラする
もし自分の足を食べて味見できたら好きになれるかもしれないのに
食肉で嫌いな部位はない
レバーだって胸肉だってみんな調理の仕方で美味しいと感じる
美味しいと感じたら好きになれる
自分の太ももも食べられたら好きになれるかもしれないのに
肉で嫌いなものはないのだから

走って頬が風をきってる時、
昔バイクに乗せてもらった時は自分が砂のように風に削がれて無くなっていくような感覚が気持ちよかった
この先に自分が消えてしまいそうな、そんな妄想に触れる瞬間がたまらなかった
自分と言う全てが“散る”ことがあるんだろうか

パッと散るより短い感じで消えてしまうことを言葉では何て言うんだろう

溶けるように散りたい

全ての中に溶けて消えたい

自分の中に善も悪もあるけれど、それ以上に何もない
戻りたい
個で存在するのが疲れる

何もなくなることが大きな愛と繋がれると思うんだけどな


この間観たアメリカンスナイパー
ネタがイラクのことだったけれど、真実は少数派の人しか至ることができないけれど
多種多様な仮説が少数派の意図を解すことになって欲しい

仮説が仮説を呼び、
だれも耳をかたむけないくだらない一文が
もしかしたら人を救うかもしれない

ありえない、どうでもいい仮説を作りまくってもしい
映画でも小説でも画でも
何年後かは違うことを言ってても良いから
今の仮説を形に残してほしいと思う

昔辛い事があった
私を大切にしている人たちに優しい言葉をたくさんもらった
傷付いた人に贈る言葉をたくさん持ってる人たちの言葉も見てみた

だけど

何一つ鎮痛剤にはならなかった

自分でも傷の存在に蓋をし始めていた時に、全く関係ない人の私に宛てたかも分からないような一文が

どうしようもなく許しを与えてくれた

正しい事を追うより、
今の自分の解釈を形にして残す事が
意図せず誰かの救いや許しになることがあるのだと
その時初めて知った

有名な小説の一文でもないのに
その何文字かが自分でも許せなかった自分の感覚を解してくれた

言葉は凄いと思った

何故か美術は凄く性的で見てるだけで吐き気がする
音楽は存在と映像に変換されて、寧ろ発しない限り受身の時は音が何なのか分からなくなる
カノンを聞いている時は母(私のじゃなく漠然とした)の体温に触れている感じがする

恥ずかしながらここで書く文字はラブレターなんだと思う
知って欲しい、話したい
その気持ちを変換すると文字になっただけ

私が見たい
鏡を探してる



[91] ホテルを作りたい

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 7月23日(木)03時07分40秒   通報   返信・引用   編集済

代々木の建物はオジャンになったけど、オリンピックに向けて地価が上がってるはず
電車も流れが変わった
習性を変えると人格も少し変わったりするように、流れが変わると街も変わるんだろうね

原因があるから結果がある

歌舞伎町は水商売のプロが多いからホテルも稼げる
渋谷は専門が多いからホテルが稼げる
池袋は素人が使うから需要がある

その三点じゃないところに流れをつくれないものか
と言うより流れそうなところに休憩地を作ってみたいねって夢のような話をしていた
不景気でも廃れない商売がラブホテルらしい
謎だわ

大阪の北新地とはよく言ったもので
北の“新地”
未開拓を新しく地にした場所

映画を観てて思うのは
正義で世界は動いていないということ

もし利益が善なら確かに善で回ってると思う
鹿児島のせんだい原発
反対しているのは地元の人じゃないらしい
寧ろ地元の人は補償金をたんまり貰っているから原発商売が衰退しては困ると
額を聞いてビックリした
サラリーマンじゃ真面目に働いても手に届かない額だった
見たこともないような大金を目の前に積まれたら正義なんて吹っ飛ぶよなーと
311って凄く怖かったイメージがあるけど、自分が生きている間の裕福さと未来の悲しい可能性とを天秤にかけても
きっと目の前にいる人たちの安定を求めて未知の恐怖は見えなくなるものだよなーと思った

アメリカンスナイパーも、派遣された軍人或いはその家族はイラク戦争に対する違和感を感じたはず
台詞でも行った人と行かない人の善が違うって感じのがあったような・・・


人は感情的に動く
時代の流れに感情的に流されていく
感情が積もれば正義っぽくなるかもしれないけれど、大多数が正義とは限らない
アメリカンスナイパーを観て思ったのは
結果被害者がアメリカ人で同情の先もイラクではなくアメリカ人で
あの事件に関してアメリカは自分の立場を良くも悪くも描ける自由がある
けれど、クリスに対しての同情に利用されたイラクの現場の人たちは、
戻る場所に安楽地がない
良いも悪いも安定の地さえない人たちに伝える術さえない
アメリカ軍はアメリカに帰って発狂して同情されていくつか選択肢があるけど

当たり前に帰る場所が戦地な人たちは狂った精神を判定してもらう場所さえない
子どもがドリルで痛めつけられるシーンがあったけど
あれってクリスを輝かせるためだと思うと、イラクはアメリカ軍の影でしかない
あのイラク戦でアメリカ軍人が壊れたけれど、彼らも被害者なんだという結論がウザい

まことしやかに噂されてる国益のためのテロ風事件という仮説
圧倒的な力のために感情を操作されているのかもしれない

大きな物事が動くときそれは正義のためではない

善であって欲しい
けれど“善”を“利益”と置き換えるとすんなり理解できることが多いと思う




[90] 教科書通りの身体

投稿者: ゆり 投稿日:2015年 6月30日(火)13時40分35秒   通報   返信・引用   編集済

記憶も感情もツルっと洗い流せて、寝て覚めたら違う人になってたらいいのにって思う
情けなさを感じると溜息は重くなるんだね。ゴシゴシ力いっぱい拭いても自分って拭えない。意識で感情が断てないなら、環境ごと丸ごと棄てるしかない。
在ったものを無くすのは勇気が必要なんだね。自分の殻は変えられないので体質改善に一つの環境を捨ててみることにした。その環境にいい思い出も詰まってて名残惜しいけれど、捨てないと身体が変わらない。疲れが取れない。

身近な人の妊娠出産って凄く不思議な感覚になる。歴史の教科書に載ってる史実が目の前で繰り広げられているような驚きというか。
24歳年齢の離れた女友達と体質の変化につてい話していたけれど、彼女の最近の変化は生殖の劣化による体質の変化みたい
思考は人や環境によって年齢を問わず成長することができると思うけれど、生殖機能が根付く動物的この身体は流れに逆らうことがないようで、
友だちという存在は劣化のない思考のような存在で、だから劣化しない存在の宿る殻の劣化に対して凄く不思議な気持ちになった
妊娠出産、あとは生殖機能の劣化
それは教科書の中での出来事であって身の回りに起こり得ないことと思っていた
教科書で書いてあることは事実なんだって実感した
動物的な殻の中に非動物的思考を嵌め込むのって難しくない?何で両方をくっつけたんだろう。思考の潔癖に邪魔なものは身体的欲求だと思う。身体的欲求さえ取り除けば人間の先にいけるのに。
思考は死ぬことがないのに、確実に身体が劣化して機能停止に向かってることをボヤっと実感した



[89] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 6月27日(土)06時37分30秒   通報   返信・引用

『危険なプロット』を観た
自分に宛てた小説を書いて現実の歯車が変わるのなら
物語を自分の耳元でささやき続けていきたい

ずっと待ってた

受動的なつもりはなかったんだけど

過去には後悔だらけで、今だって選択を迷ってる
可能性はどれが低いんだろう
そんな計算ばかりしている

多分、始める前に棄権することが凄く多いのかもしれない
もしかしたら立候補しただけで勝てたかもしれないことも
一年前から棄権を表明して

取り敢えず、出場くらいはしてみようかな
そして“もし”を、本当に期待していた“もし”を頑張って消してみようかなと思う

社会性に交われば自分のリズムが守れない
社会性の歩幅に合わせて歩いて、気が付いたら常に何かにイライラしてる
それでもいいかな
環境で守れない自分の歩幅なんて必要ない
或いは、頑張って考えて守れるようになればいい

とりあえず、何にしてもお金って必要だわ



[88] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 6月21日(日)01時57分52秒   通報   返信・引用

靖国神社、大国玉神社、護国寺
全て高低差が広くて空が広かった

今まで不思議だった

あまり色んな神社を歩き回っていないけれど、そういう建物はみんな上下左右の広がりが大きい

下を見ても気持ちいいし、上を見れば空が大きい
東京なのになぜか広く、そして静かに感じる

そんな作りばかりだから

きっと建築の元の概念に何か大きく共通しているものがあるのだろうと仮定していた

茂さんが言った
景色に寄り添う建物を建てるのが日本人

幾何学模様の西洋建築と違い、
主人公になることが目的でない、
空気でも音でも何でも、
そこに溶けることに重きを置く日本人と考えると

神社や仏閣の美しさ、
そこが引き立てる夕日の美しさに

理解ができた



[87] 薫さん

投稿者: ゆり 投稿日:2015年 6月18日(木)02時11分23秒   通報   返信・引用

自分で生きてきた中で尊敬する人が三人いる

その一人とはテレクラで出会った
高校を卒業してデブだった私は、少しでも女がお金になるところで働きたかった
キャバクラやソープなんて恐ろしく雲の上だったので、声だけでいけるテレクラのサクラのバイトをすることにした

そこで知り合ったのがその人だった

その人は電話越しに「寂しいんだよね」と言っていた
そんなのみんなが言う挨拶代りのようなフレーズだったけど、まだサクラのバイトになれていなかった私は本当に連絡先を彼に会いに行った

親友の話によると、私はその時の彼の印象を“不細工”と言っていたらしい
彼と初めて会ったのが私が20歳のころ、彼が37歳
今思えば37歳なんて童貞くらいアホらしい年齢だけれど、その時の私は彼の話や世界観が驚くほど宇宙に思えて
男として欲しいというより、ただ自分をぶつけたかった
何をしても驚かないし、100個質問をしたら100個答えを返してくれる
その時にありがたみはまったく無かったけれど、今思えばかなり頭が良くて優秀な人だったんだと思う
学歴や職歴も立派だったしね

自分のようだと言っていた本がある
「真夜中の5分前」
個人的には彼の本は好きじゃないけれど、彼にはそのズレの表現がしっくりきたんだろう

彼がずれていたのかな
今はよくわからない
衝動的に彼と縁を切ってしまった
だけど、彼の教えは今頃になって沁みてくる
新聞も、映画を見るのも、
もっと真面目に聞いておけばよかった

また会いたいけれど、ルートがない
本名も8割しか覚えてない


もう一人会いたい人がいる
シラムレンに初めて行った時に一緒にいた人
書けって言ってくれて、でも、自分のことと、恋愛のことと、セックスのことは書くなって助言をしてくれた

今なら分かる
私はそれを書いてずっとオナニーして新しいことを知ろうとしてなかった
今でもその助言は間違ってない

シラムレンに通っているのは、もしかしたらまた会えるかもしれないと思っているんだけれど、
2人でシラムレンに行ったのは飛び込みだったから

もう会えないかもしれない

会えない人たちの助言が10年たっても全然腐らないって凄い

また教えてほしい
というか、少し人間になった私で彼らと話してみたい
ゆりはちょっとだけ大人になりましたって


会いたいな



[86] 無題

投稿者: ゆり 投稿日:2015年 6月18日(木)01時09分16秒   通報   返信・引用

彼女と再会したのは、あまりにお粗末なシチュエーションで
僕が先輩たちとの飲み会の後、断わり切れずにいったヘルスだった
疲れのせいか、シチュエーションにも関わらず寝落ちしそうになったところに
コンコンッと小さなノックの音が聞こえて
返事も返さない間に戸が開いた
なんとなくあか抜けない女の子が入ってきたのは覚えてる
ハッと起きて時間を確認しようとしたら、その子が
「まだ時間じゃないよ」と言った
その言い方が妙に懐かしいような不思議な違和感があって
彼女に振り返ると
「・・・・あさみ?」
「はははっ、久しぶりだね」
その卑屈な表情は相変わらずだった


人生25年、なぜ彼女が僕の記憶に強烈に残っているか
理由はよく分からなかったけれど、どうしても彼女を最後までつかめなかった
その時、彼女が何を壊そうとしていたのか、もしかしたらそれ自体僕の主観で
彼女は淡々と今を生きていただけなのかもしれないけれど
あまりにむき出しの
痛々しいそんな彼女を僕が守ってあげたいと思った
男のエゴだろうか
雨が降った時に、僕は彼女の傘になれると思っていた

彼女と喧嘩したときに、喧嘩と言ってもLINEと通してのささやかなすれ違いだと思っていたんだけど、どうせいつものことと思っていた
多少の言い争いが馴れ合いの中のオプションだと思ってた
というか、仕事のほうに気がいってて他を考える余裕もなかった
だから、いつものことだろうと数日放っておいた
彼女の体内リズムは社会性がないことを知っていたから、のんびりまつつもりだった
だけど
それから一か月が経っても連絡がこない
こちらからLINEをしても既読にならず
酔った勢いでかけた電話は一応コールはした
彼女への執着より仕事の忙しさと自分のプライドが優って
気になってはいたものの共通の友達もいなかったからその後を探ることもなく
半年、
自然消滅とも言える月日を経て
再会したのが大塚のヘルスだった



[85] 暗い話

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 6月 7日(日)00時56分28秒   通報   返信・引用   編集済

目の前にすれば肉体には触れられる
話をすれば思考の破片に触れられる
でもそうじゃなくて静かにゆっくり触りたい
その人に触れたい

単なる紙とか文字と言う見方からすれば記号の組み合わせの物質なんだけれど
私にしか見えない形と匂いと温度を孕んでいて
文章って凄い
あまりに本人と違う顔を見せたりするから
深呼吸して触ってみる
誰にも内緒で私だけのものになってくれるし、私の速度で、私の触り方で、私の中にある画で話しかけてくれる

思考を音(声)に乗せたりすると急いで掻き込むA5ランクの肉のように勿体なくて
触りたい
でもどうやって触っていいのか分からない
だから思考の物質化を感謝しす

初めて兄と飲んだ
兄の話す思い出話を私は一切知らなかった
毎日顔を合わせてて血がつながってるっていう圧倒的な事実がるのに殆ど共通の記憶がない
こんなに遠かったんだと思って、それを少しだけ近付けてくれた本能破壊液体に感謝した
久々に会う姪は子供から少しだけ女の子になっていた
従兄弟と兄と私でお酒を飲み食べる物も話も、彼女には全く遠いものんだろう
私も子供のころ親やその友だち等の会話が退屈でゲームをしたり寝たふりをしていた
今日の姪はあの時の私なんだなーと

その姪の赤ん坊の時の姿は写真でしか知らない
私の家族の中で初孫だった
彼女はやはり少しだけ特別な存在だと思う
彼女は良くわからないけれど、彼女を上から見守る人たちにとってやはり特別な存在なんだと思う
私にとってはもう少しだけ特別で
予定が頓挫しなければ彼女と同じころにもう一人孫が生まれていたはずだった
なんの縁か分からないけれど予定月が一緒だった
言葉にならない感情を感じた少ない経験の一つだった
病院で存在を知った時はただ涙が止まらなかった
嬉しいとか不安とか
そんな具体的な言葉は一切なくて
ただ涙が出てきた
そして自分が珍しく人を気遣う機会だった
その存在を守ろうと栄養のあるものを食べようとか、身体を冷やさないようにしようとか、お目見えしてない相手に対し
無意識にお腹に手をあててる自分がいて
終って空っぽになったことを理解した瞬間に
自分なりの気遣いがあったことを初めて知った


色々あって決断を迷った時、兄は「産むことだけが全てじゃない。」と言葉をかけてくれた
その時には姪がこの世に命を授かってるなんて全く知らなかった
事後に感情的になって兄を責めたい気持ちになったけれど、人間ってよくできているもので
その時の怒りに近い激情は今はどこにもなくなってしまった
冷静じゃない時期には、お腹の大きな兄の奥さんの姿を見たくなかった
愛されてる赤子の姿を見たくなかった
だからある時期は一切家に近寄らなかった

女の子になった姪は私になついてくれる
今度2人で出かける約束をした
素直で可愛い
昔の私を彷彿とさせる素朴な顔と表情
叔母さんというやや無責任な立場にあるから彼女と楽しく話せる
彼女の事が好きだ
小さくて笑顔が可愛くて
良い叔母さんになれるか分からないけれどいっぱい遊んで仲良くなりたい
叶わなかった夢とか辛かった思い出とか
そんなのが霞むくらい今はただ単にここにある
それだけでいいのかなって思う
あの時の私に出会うことは二度とない

姪にしてあげられることは何もない
教えてあげられることも何もない
自分ができるのは、気が向いたときに遊べる場所として私を置くこと
嫌なことがあった時、気まぐれに利用できる相手でいること
私が子供のころにもっと逃げる場所、利用できる相手がいたら良かったのにと思ったから
子どもは関わり合いの差異がある多くの人の中で育てられるものだと思う
逃げ場所は多ければ多いほどいい
選択肢は多ければ多いほどいいそう思う

時折鼻の軟骨は邪魔だ
匂いが感情的な相手を愛でる大きな手段とするなら、
鼻にある軟骨が粉砕されればもう少し近くでその存在を乞えるんじゃないかと
きっとどこかの社会性のない変態は鼻の軟骨を粉砕して好きな人の匂いを嗅いでいるに違いない
身体を壊していけば好きな人に近づけるに違いない
そう勘違いの夢を見ながら自分の鼻にハンマーを何度も振り下ろすに違いない
アメーバになることが好きな人を抱きしめる第一歩になると思う



[84] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 6月 2日(火)11時16分7秒   通報   返信・引用   編集済

時間の伸び縮みが激しい
朝まで飲んだ日から時間のズレが戻らない
と言うか戻す必要もないから戻したい気持ちがあっても放置している

「僕と彼女の漂流記」観たら悲しくなった

周りからみたら何の規則性もない彼女の引きこもり生活だけれど、彼女の中にはしっかりとルールが作られてる

起床時間、掃除などの習慣、健康維持の為の運動、そして精神健康維持の為の瞑想
人間である為に規則性と縛りを持って一日を作ってる
社会から見たら虫の息のような存在だけど

いつでも社会に戻れるように規則性を持たせていた
陽が上る前に、暗いうちに必ず寝ること
起床は9時前
必ず1度は家の外に出て外の空気を吸うこと

それが細やかな自分の規則だったけれど、家の中で運動ができるようになったので健康維持の為の散歩が特別必要でなくなった
寧ろ散歩より家の中の運動の方がカロリーの消費がいいみたい
外に出る必要が無くなったらカーテン閉めっぱなしの部屋に昼夜の差がつきにくくなって
朝まで飲んで体内時計が狂ってしまってからヤバいと思って、薬を飲んで時間を戻そうと思ったら錠数を間違えて今度は寝すぎて起きたのがおやつの時間
それからは日があけるまで眠れない

働かず好き勝手な生活をしていることに罪悪感がないわけではない
寧ろ働かない理由や言い訳がなくて居心地が悪い
学生の時は学生と言う名分があった
無職の友だちは家族のご飯を作ってあげてる
私は自分の為にしか何もしていない
言い訳がなにもない

生きてるふりをするために感情の起伏を促す映画を観たりしているけれど、あの映画のラストを観たら結局は外で出ることでしか今が開けないというオチで尚更落ち込んだ

今の状態だと私の感情はツタヤで100円で借りられるってこと
パソコンの画面の中に全てが収まる
ワンクリックで夢が見られる


いつでも戻れるよう自分なりの日常の規則性を持たせていたけれど、それはどんなにクズに見えるニートでも考えることなんだと知った
と言うか自分で認識している以上にゴミな生活をしているのかとあの映画を観て
自分を映し出された気がして
自分だけは違うと思ってたことに気付いて
胸が痛んだ

自律心が強かった前の彼氏
「ゆりも何かできるよ」
その言葉が輝いて聞こえて何か努力しようとしていて
でも何も見つからないままだった
何もないまま、自律している彼の傍にいるのが恥ずかしかった
付き合っている内は情があるから贔屓目に見るけれど彼の話を聞いていて思ったのは、彼が嫌いな女像はそのまま私だった
努力せずお金を稼いで自律のない生活を送ってる
きっとこんな姿を知ったら2人が選んだ選択に対して後悔を一切持たなく済むだろうと思う

映画の中の彼女も妄想の中の充実した自分をブログにアップしていた
こうやって書くことも生きているフリの一環なのかもしれない
頭の中で描かれる自分は恥の少ない自分で
でも外に出ると色んな比較対象があって
振り返った自分が惨めで恥ずかしくて
情けなくて

明るくて見え過ぎる場所だと自分も他人を見下すし、その分誰かからも見下されてて
そんなこと考えるのも疲れるし

情けなくてダサいけど、誰にも知られずに内緒に居れば嫌な思いも少ないし

「明日仕事早いからそろそろ寝るね」なんて、
「そっか。頑張ってね。」なんて

そんな嘘をつきながら秘密基地でひっそり生活してるなう



[83] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 5月18日(月)07時58分8秒   通報   返信・引用

思考も時間と同じく過去と未来と一線で繋がってるなら

池に石を投げたときに輪ができるように
今の思考が過去の自分の思考に影響を与えてるかもしれない

考えてはいけないこと
感じてはいけないこと
それを解除する練習をすることは過去の自分を救うこと

抑圧は育ってきた環境にあると思って母親をせめる気持ちが強かったけれどそれはお角違いだったのかも

今の自分の〝考えてはいけないこと、感じてはいけないこと〝の余波が過去に影響しているのかも

現在の思考が未来の思考に影響するのは簡単に想像できるけれど
過去の場合を考えなかった

大きな空間の中に全てが存在するなら
未来は過去に影響を与えてるよね

ネガティブに背を向けたポジティブは、
個を否定し続けなければいけないから


ヒールの高さや形が1ミリ違うだけで
人の姿勢が変わって
負担が増えたり減ったり
そして支障がでてくるように

世界中職人レベルの繊細過ぎる単位の呼応のし合いなのかも

そう考えると世界は自分の手で変えられるって言葉が少し身近になる

思考することで世界のニュアンスを少し変化させられる
過去の私は過去に終わってることじゃなくて、

過去の私は私でもあるけど私じゃなく世の中にたくさんある誰かだから
あの状態の人のニュアンスは世界中に粒子のように散らばってて
あの時の歪みのようなニュアンスを
それを救えるのかもと

思考は快楽だと断言できる
人間、気持ちいい言葉いくらだって繰り返せる
寧ろ快楽がなければ何度も何度も繰り返せない



思考の制限をかけざるを得なかった前の彼氏との関係に直感的に疑問をもっていたのかも
自由な思考は社会性の下で生きる時に邪魔になることが多々ある

結局、もっと自由に考えたくて
思考という快楽にもっと浸りたくて
社会性と思考を両立できないと思ったから別れたんだと気付いた

自由な思考は自由な思考で、
そして社会性の前では忠実なフリをしてれば良かったんだけどね

結局面倒くさいので快楽を選んだってことだ
失恋したとかピーピー泣いて辛いとか口先で言うくせに
腹の中では自分の気持ちよさのことしか無いのよね



[82] 抜けだせない快楽

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 5月18日(月)07時26分12秒   通報   返信・引用   編集済

気持ちよさとは肉体的なものと頭が痺れるような感覚の両方が揃った時だとして、とてつもなく気持ちいい思いをした記憶がある

歌うことが大好きだった

歌っている時、声を出すというか自分を出し切ってる時に自分と世界の境界が分からなくなる

自分がどっちの状態にあるのか分からなくなって身体全部が溶けだすような柔らかい感覚と共に頭は熱を持って痺れるような感覚になる

声楽を習っていてその発表会に舞台でひとり立って歌った時、頭の痺れ、胸の浮くような昂揚感、そしてなぜか下半身の熱りがあった

恐ろしく気持ちよかった

その頃セックスって言葉は知っていても性欲って言葉は理解できていなかった

自分の下半身の熱りがそれに繋がる感覚だと理解しないまま、その感覚が言葉にできないまま

言葉に出来ない感覚って漠然として輪郭もないから大きく感じる気がする

言葉にすると形になってしまうから何となく小さくまとまってしまう気がするけれど

快楽という意味でもコミュニケーションと言う意味でも、私にとって“セックス”はあの状態な気がする

受け入れたり、自分が入ったり




その感覚をずっと追ってて、追ってるくせに忘れてた

また歌を始めようかな

『翼をください』を聴くと欲情してくる
あの気持ちよさの記憶に欲情しているのか、それともこの曲が自分に入りやすいのか分からないけれど




あと歌を歌う気持ちよさとまた少し違った気持ちよさの経験がある

中学生の時にガーーーっと何かを考えていた時、言葉が湧いてきたことが一度だけあった

“魂”って言葉

ピーンときたって言葉が凄くしっくりくる

言葉って感覚や思考など無形物の代名詞的役割だと思うけど、
できるだけ思考や感覚に近い言葉をセレクトするように取捨選択する
それでも
100%ピッタリ填まる言葉ってあまりなくて、多少の誤差は妥協して使う

けれどその時は上下左右どの角度からも寸分違わず思考に言葉が填まった
ビックリした

言葉を感じた瞬間だった

その瞬間スーーッと空気が一瞬だけ澄んだような感覚

あれも初めての経験だった
それには性欲は反応しなかった
頭と身体だけだった

気持ちよかったってよりなんと表現していいか分からない静けさのような衝撃があった


多分あの経験があるから思考することが好きなんだと思う
色んなものを知りたいって好奇心が理由の思考もあるけれど、
突き詰めればあの言葉が填まった瞬間をもう一度経験したいのかも




[81] 学歴コンプレックス

投稿者: 投稿日:2015年 5月 5日(火)08時17分27秒   通報   返信・引用

「結局はどこの大学を出たかなんだよ。会社入ってから何十年って経ってもどこの大学を出たか聞かれるんだよ。日本って本当学歴社会なんだって思ったよ」と日大卒入社5年目の友達が言ってた

個人的に学歴社会を痛切に実感したことはなかったけれど、昔コールセンターでバイトをしていた時に就活中の学生に面接日時の案内をする電話をかける業務の時はちょっと実感した

超大手企業の二次三次面接のアポを取るんだけれど、学生一覧があってマーチ以下の大学はコールする対象にもならなくて

数日対象の学生たちに電話をしまくって、面接予定日の人数に満たない場合は仕方なくマーチ以下の大学の学生に連絡した

これがふるいにかけられるてことなのかと思った

ふるいにかけられる人たち、そしてふるいにかけられる以前の人たち



どこの大学出てるからいい人なんて括りができないのは当たり前だけれど、でも学歴が大切なのは頑張らないといけない時期にどれだけ努力ができたかの判断として大学があると思う

知人が「大学は頭の良さじゃない。どれだけ計画的に、そして目標(合格)に対して努力できたかなんだよ」と言ってる人がいて、それは一理あると思った

名がある大学を出てる人が優遇されるのは自然だと思うから、ある程度の大学に進学させるという社会的良識を持った親を持てることはひとつ幸せだと思う

職種や環境によって学歴がものを言わないところもあるかもしれないけれど、大企業になればなるほど学歴が大切ということは事実だと思う

優遇される大学を出てることによって当たり前の選択肢の範囲と権利が保障されるし

スタートラインに立つことができるから



あと学歴コンプレックスは低学歴ばかりが持つものではないということ

優遇されていることに悦を感じるのは同じくアイデンティティを学歴に求めているコンプレックスの塊だと思う

日大卒の友達は設計士なんだけど彼曰く「図面をかくのに新しい方法や技術を自分の中に取り入れる努力もしなくなったような人たちでも、学歴で管理職になったりしていくから。」だって

思考の現役を引退したら過去にすがるしかないし、あとは同じ大学出同志なにか通じるものがあるのかね

でも家庭をもったり守るべきものが増えたら思考の現役より収入の良さと安定を求めてしまうのは致し方ない気もする

子供を学歴社会で自由に好きなことをさせるためのスタートラインに立たせるためにはお金が必要だから

思考の現役を考えるなら結婚は確かに墓場になるのかもしれない



大した大学出てない自分も、やはり大学を出ていることに少しホッとしている部分があるのは事実

大学を中退したときに「私、高卒になるのか」と絶望って言葉は重すぎるけれど世界が変わってしまうような失望感があった

これ以上大学を続けていけないと思っていたから退学したことでスッキリするかと思っていたのに、逆にすごく失望感に襲われた記憶がある

勉強は大嫌いだったのに、なぜか大学に進学して卒業するのが自分も当たり前だと思っていた

人としてそのルートを通ることが呼吸をするように当たり前のことだと思っていた

両親が子供に大学までいかせるという考えが強かったせいかもしれない

常識的な親だったんだろうけれど、その常識から外れた瞬間世界が曇った気がした




大人になって少し後悔するのはもう少し学生時代に勉強しておけばよかったということ

特に高校中学はほぼ勉強していなかったからその時に習った一般知識(歴史とか数学地理とか)がポッカリ抜けてて、
一酸化炭素中毒って存在を知らなかったんだけれど、部屋をしめっきりで喚起をせず火を焚いてたことがあって
そういうことをしたら危ないっていう知識ってたぶん高校中学くらいの時の知識で?してはいけないこと?とわかると思うんだけど、知識がなかったもので一歩間違えれば危ないことになってたと思った時に一般知識って大事なんだと思った


そして知識が少ないことは人との共通話題を減らしてしまうし、言葉を知らないことは自分の思考や感情を外に表現できなくなる

何かを思っても赤ん坊のように大きな声で泣いたりわめいたりすることしかできなかったらつらい

国語さん数理科社会すべての科目は、同じ答えまでどういう手段でアプローチするかという違いなので
すべてを一通り経験することで

何か困ったとき自分の得意な解決方法が使えなかったとしてもほかのアプローチ方法があるという発想の種類の幅を広げることもできると思う

視点が増えることは害はないと思うし

勉強も必要だしある程度は学歴も必要だということでした



[80] 合理性は餌

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 5月 3日(日)11時58分46秒   通報   返信・引用   編集済

食べるということに置き換えると合理性は餌になり芸術は料理になる

料理の凄いと思う事は、食材は流動的でその状態に伺いを立ててから対処方法を考え最善を尽くす

その最善に魔法のような必ずの法則はないから、己の思考の組み合わせによる判断が料理の味の決め手になる

食材の状態を見たりそれに似合う調味料や料理方法を考えるのはパズルのようで

パズルってコミュニケーションなんだと思う

そのコミュニケーションがうまくいったら満足って感覚を潤わせてくれる料理になる

料理ってコミュニケーションの絶頂で、絵画や音のような芸術だけど、一秒一秒鮮度が失われ状態が変化していくから凄く刹那的な芸術だと思う

食事は死ぬまで数えきれないくらいするのに、その数えきれないくらいの当たり前の行為を芸術にすることができる

芸術自体は情熱があるから思いを入れて作られて欲しいと思う

そして料理って芸術は絵画のように留めることができない

しかもエネルギー原として食べられ排便されるという現実性と非現実性の接点を持った芸術

芸術を食べるってゾクゾクする

コミュニケーションしない場合は単なる餌になる




話変わって機能性とデザインって相容れないことが多いけれど、
その面倒くさく難しい融合に立ち向かっている人たちの思考努力って夢がある


調理器具は機能的なものがいい

調理器具が一番に求められることは調理の最良の助手であり、調理の為の思考を現実にさせる手助けをするもので、万一にもその現実させる工程の妨げになってはいけない

より効率的に作業ができるための道具

だからそこにデザインは正直必要ではないんだよね

でもデザインの必要のないところにもデザインを織り交ぜる

そして機能性を損ねない

そんな試みって正直難しいと思うんだけど、むかし家具などにデザイン性をとその当時

には珍しい試みを学校としていたバウハウスという学校があって

ゴミ箱は廃棄されたものの入れ物だけれど、その入れ物が宝箱のように或いはデザイン性を兼ね備えていたら汚いものを少し違うものにできるかもしれないという

デザインによって人の思考や価値観を変えていけるという理想だった気がする

バウハウスについては昔に勉強したものだから記憶は定かじゃないけれど



その一見無駄に思えるデザインと機能の融合が人の日常を潤わせてくれるものだと思った

歯磨きが嫌いな子供には大すきなキャラクターの歯ブラシと美味しい味のする歯磨き粉を与えることによって克服できるように

日常に合理性だけじゃなくデザイン、言い換えれば芸術が必要なんだと思う

人が生きること自体は自然界の流れの一部なんだから、それは自然が大きな芸術である

としたら芸術の一部なので、そこにデザインを織り込むことはとても自然なことなのかもしれない

お皿が餌入れの入れ物である必要はなく、美しさのために作られた入れ物であってもいい

日用品が日用品らしい見た目でいる必要もない

洗濯洗剤っていかにも日用品って見た目をしているけれど、そういう如何にも道具ですって見た目をやめさせてもいいんだよね

料理を食べるための箸が箸である必要もなく、美しい棒が2本あればいい

機能性と芸術の融合を考え始めたら日常生活はたくさん時間があっても足りないくらいデザインを求めているものがたくさんある
どう日常生活にデザインを入れていくか
多分、センスがいい人はそれをすんなりこなしてしまうんだろうけれど

部屋を見渡すといかにも日用品と言う見た目の合理性ばかりが散らばってて萎えた
私の身の回りには今 餌しかない

日常生活の中に料理を取り込んでいきたい

日常生活がアートの片棒とか楽しい

大人になって嬉しい事はこういうパズル遊びをするのに自由に使えるお金があるということ

思考遊びのために使えるお金がある

子どものころは思考遊びは出来てもそれをグレードアップさせるためのお金っていう手段が欠けていたからね

日用品で人の思考や気分をデザインするって凄い事だと思うけど、
そういえば昔広告関係の仕事の人で面白い発想を広めようとしていた人がいた

アンチエイジングって言葉は若返りや美しさを再び咲かせようとする言葉で使われているけどれど、よくよく考えると恐ろしく加齢を否定したネガティブな言葉で

加齢を否定するってことは若い時と同じものの価値観を持ちこしてきた人たちの発想なんだよね

探究したいものがあった場合、積み重ねないと見えないものを追っている場合、年数を重ねることは勲章になるから

歳を重ねることで得られる美しさ、その年齢の美しさ、そういう加齢を肯定的に或いは受容できる思考をデザインするキャッチコピーが必要だって言ってて

それから生まれたのが「可愛いは作れる」と言うどこにでもありそうなもので笑ったけど

日用品も言葉も思考のデザインって発想で物を作って欲しいよね

アンチエイジングって言葉のように不安を煽ってモノを売る言葉を作るより、女子など年齢を重ねた今を自ら否定する言葉を作るより、

存在できたことだけで丸儲け的な自然な言葉があふれるといいと思う



[79] 貴方のため

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 4月30日(木)16時40分33秒   通報   返信・引用   編集済

嫌われ松子の一生は郷愁と言うか子供のころに叶わなかった夢の穴埋めでしかなかった

その人生観に凄く共感でる

新しいものなんて全く欲しくない

ただ帰りたい

感情は常に動いていて温度も感じるから自分が生きてると勘違いしているけれど、もう感覚自体は死んでしまっているのかもしれない

メリーゴーランドって常に動いていて華やかで景色も動くけれど、実際は一歩も進んでないんだよね

彼氏の為にまともになろうと自分なりの努力をしてきたつもり

そのカタが外れてから色んな事がどうでもいい

社会との接点もないし、関わり合いをもたないといけない人たちもいない

一歩外に出たら無関係しか存在してない

嫌われ松子の一生は常に誰かに帰属していること、そして何か目的を与えられることで潤いを人生に持っていた

“愛する人のために”と生きる時こそ根本の帰郷願望と欠乏を忘れられて辛くなかったのかもしれない

仲のいい一回り違う女友達と飲んだけどまたくだらない男の事で悩んでた

その女友だちと私は恐ろしいくらい辿ってきた人生が似通ってて感覚も似てる

彼女を見てると私もああなるんだろうかと思う

本人は気付いてないかもしれないけど少し不幸じゃないと満たされない

華やかなお姫様のような幸せはどう頑張っても手に入らないから、せめて悲劇のヒロインなら成就するかなと思ってる

彼女と私だけじゃなくこんな価値観の女は量産されてて

よく陥りやすい女の生き方にどっぷりはまってる

嫌われ松子の一生で一番好きなのは全てが情けなく終わるところ

精神を病んでそれでももう一度夢を持って未来を掴もうと決意した日に
怨恨でもなく無関係で痛みが分からない子どもたちに殺されてしまう

典型的な量産系の女って嫌われ松子みたいなお姫様のおとぎ話を根っこで抱きしめてる人だと思う



誰かのため、何かのためって目標がなかったらどう生きたらいいのか分からない

と言うか量産系の女だとしても感情は熱を持ってて生きていると思ってしまう

それが一歩も進まないメリーゴーランドに乗ってるだけだとしても

そもそも量産系の生き方って何が原因で作られるんだろうか

海外の量産系の女の生き方はまた日本と違うだろうし

と言うか愛情問題を取り扱ったものやヒーローものの絵本は精神を病んでいく原因になるから幼少期には読ませないほうがいいと思う

自分の人生もいつか咲く日が来ると信じるから今が気持ちよく感じられなくなる

一生咲かない人生もあるし、咲いたことに気付かないこともある

寧ろ生きている間に花が咲くのを見られる人間なんて少ないかもしれない

自然の事、宇宙の事はどんな天才だって生きている間に解き明かせず死んでいくんだから

必ず咲くよ!なんて嘘っぱちは子供に教えちゃだめよ

一生その悪夢にとり付かれる



[78] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 4月16日(木)07時37分11秒   通報   返信・引用

欲求を解消する方法が少数派だからと言って芯の部分が少数派とは限らない
それに気付いた

暴力を振るわれる、汚いものにまみれる
そんな境界線の犯され方に欲求を満たされていたけれど、私の場合は欲求の原因が道徳観など人が作ったシステムによる歪や、元々人が持ってる交われない寂しさからくるもののよう

衝動的、本能的マゾではない
思考的マゾだと思う

知り合いのサドの人(関係を持ってる女性の前ではサドサイドをとることが多い)が十何年付き合っている女性がいて(お互い既婚者で趣向のための付き合い)、その女性が真性マゾなんだと思うと分析していたけれど、真性マゾの意味が理解できていなかった

真性とは欲求の度合いの問題かと思ってた
それは違っていて、真性とは衝動による欲求のことを言うのだと理解した
彼が付き合ってる彼女は一般的に見て顔かたちも良いし育ちは広尾のお嬢様だったらしい
彼女の今、夫婦生活や家庭に特別問題がないようと彼は分析していた
ひと目から見ての円満ほど嘘くさいものはないけれど、長く彼女と付き合ってきた彼がそう分析したんだから、
彼女の欲求が歪解消の為のものでないというなら、そうなんだと思った

歪のための欲求ではなく、原因のある欲求でないなら、それは性欲と同じ衝動だ
彼女が彼に境界線を侵されたいのは倫理観も道徳もない衝動なんだと思う

会ったことがない女性に対して偏った情報のみで妄想しているけれど

そして彼女に接してる彼について
彼女の衝動に応える時に彼はサドであるけれど、彼の中にある欲求を聞くと彼自身がまたマゾであった
痒いところに手が届くのは同じ欲求を持っているからだろうか
それとも彼が空気を読み適切な対処ができる、司会進行がうまいからなのだろうか

久しぶりに会って話したけれど昔ほど熱心に探究している様子は無かった
飼育している2人の女性との関係もそれなりに安定しているようで、もしこの先があるとしてもそれを今は望んでいないかもしれないと言っていた

今回
気付いたことは、物事を正しい正しくない、重度軽度という価値観でくくると本質が見えてこなるという事
それ以前に見た方がいいのは性質なのかもしれない

水や空気などそれらに善悪が無いように、そのものが自分に及ぼす影響などを考えず、単なる性質として捉えること

思考的欲求
真性は衝動的欲求
性欲と同じ理由なき衝動現象

紐解けば解くほど自己承認欲求を満たしてくれる特別な性質がない人なのだと認識させられて悲しくなる
特別な人ではなく単なる現象で存在しているだけの一つ



[77] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 4月 9日(木)05時01分18秒   通報   返信・引用

友だちとダラダラ話してしまうのは結局馴れ合いでしかなくて、
自分が進んでいる今の選択肢に自信がないからその不安を少しでも解消するためでしかなくて、

喧嘩して連絡を絶ってみると今の状況の輪郭がハッキリしてくる

何もなくて濁ってる

何を考えているかを知りたくない

起こった出来事を消化できない

進んでいるのにその道を認めたくない

目の前にあるものを認めず、事実をごまかしているから常に実感もなく、


何が何だか分からない

理性的な時は鬱々していて、
突発的に感情的になって

時々頭がおかしいんじゃないかって思う
感情の起伏は訓練でどうにでもなると言われたことがあるけれどそれを信じたい

いつか今まで選択してきたものを全て捨ててみたい
目先に吊るされた人参が欲しくて走ってきたけど
そういう保険をかけた生き方をやめてみたい



[76] (無題)

投稿者: 投稿日:2015年 4月 8日(水)23時30分31秒   通報   返信・引用

ピアノの音と星と雨の音って似てると思う


星の中にいて音があってもうやめたかった

なにが似てるんだろう



[75] シークレットサンシャイン観た

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 4月 7日(火)20時03分17秒   通報   返信・引用

実際宗教と言っても数えきれない宗教が世界にあるので「こんなもの」と言い切ることはできない

ただこの映画で描かれていた宗教と信仰されている環境に対しては矛盾を感じるところがあった

神は平等と言うけれど平等とは一番理不尽だと思う

理不尽だと感じるのは自分の中に願望が
あるから

本来宗教は己を捨てて愛するものだと解釈しているけれど、映画の中で人々が宗教に求めているのは心のより所のように見える

それは個人的な祈りで本来の教えよりエゴが強い気がした

神様は許しはするけれど助けはしない

息子を殺されその心の痛みに耐えきれなくなった主人公が宗教に心のより所を求め愛を感じるが、息子を殺した犯人に面会すると彼も彼女と同じ神を慕い罪を許されたと言う

平等とはこういうものだ

それに信仰の厚い厚くないが神に対しての忠誠のベクトルになるなら、葛藤が深い方が許しを乞う気持ちが強いため罪人の方が神に近づくのが早いかもしれない

更に言えば信仰の厚い薄いがはかれるものならいいけれどもそれは明確ではないから
キリスト教ではないけれど私だって神様に愛されてることになる
入信しなければ注がれない愛ならばそれは単なる社会だと思う

息子を殺され苦しんできた間に犯人は神に許され心穏やかな境地にいるんだから、主人公は神に対いてどう信頼をおけばいいのか分からなくなる

この中で描かれている宗教に関しては片手間で信仰できるものではないと思う
台詞で「神の信仰を忠実に実行することは難しいことだ」ってあったけれど正にその通り

人には欲求があるんだから、それを無くして生きていくなんて簡単なことじゃない
聖人になりたければ死ぬしかない
個人的な欲求を消さなければ教えに忠実ではいられないと思う
社会性の中、搾取のし合いで生き抜くにはきれいごとを並べて生きていけるわけがない
寧ろ、ミサなどの心洗われると思ってる瞬間は自分の勝手な解釈を許してくれる場所として利用しいるんだからエゴのたまり場だと思う
宗教を信仰し生きる事、それが試されるのは薄汚れた日常生活の場面だと思う

それに宗教ってその土地に生まれ育った人たちによって培われてきた文化が濃く反映されているからなぜ韓国にキリスト教なんだ?ってのも大きな疑問

目上の人を重んじる呼び方や風習が色濃いのに、誰でも平等って少し矛盾を感じる


日本でキリスト教を信仰している人たちもいるけれど、大多数にはならない

熱心に信仰はせずとも感謝の持ち方は仏教や神道のものだと思う



それと、言葉って凄いね
読んでるよの短文でグワッと持ってかれた 笑
本人より言葉の方がその人らしくて驚く



[74] (無題)

投稿者: K 投稿日:2015年 4月 5日(日)00時30分20秒   通報   返信・引用

読んでるよ
書けたら書くね



[73] (無題)

投稿者: 投稿日:2015年 4月 4日(土)00時01分17秒   通報   返信・引用

性癖はどこに由来するのかと話して
性癖の原因がコンプレックスなのはポピュラーだけども

その人の本来の性格本能で備え付けられているものがあるのかという結論になった

壊したら次の破壊を望み、
その先に行けばまた先を欲しがる

でもそんな破壊は性欲処理だと思う
多分これ間違ってるけど、
破壊の未経験しゃとして仮定としておく
私が思う破壊の先は
社会性の喪失で、

ムラムラしたせい欲を抜くのとは違う精神の新境地だと思うのだけれども

そういう風に思うのは、
戻らなきゃいけない社会性がないからなのか

結婚やパートナーや
圧倒的な失えないものがないから、
壊れるとは別の人になることだと思うけど

壊れてみないとわからないね

精神と性欲は密接な関係があると思うけど、
破壊にセックスと言う実質の行為は必要ないと思う

壊したい
壊れたい
とりあえず子供のおもちゃレベルに壊れて見る経験をしてみようと画策中

剥けるのと、こわれるのと、終わってしまうのは違うことだよね



[72] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月27日(金)09時25分21秒   通報   返信・引用

ガスの甘い匂いが満ちて
ボーッとしてくる
どうしてだろう
こんな時なのにアソコがムズムズしてくる
ほてってくるのが分かる
欲情してるのだろうか

そうだった
怖かったんだ
あの時の匂いに似てる
お母さんが
錯乱して泣き叫んだ後に
ポツリ『一緒に死のうか』
その瞬間だけ今までが嘘だったかのように静かだった
どこからか落っこちてきた言葉のように
小さく、なのに輪郭のハッキリした言葉だった

私が失敗すると
お母さんは気が狂ったように怒った
子どものころは目の前にあることが全ての真実だった
目の前にある環境が自分の全世界だった
一般的にどうこうなんて客観性は持てなかった
全てが目の前に存在していた
その外の世界なんて想像できなかった

2人で死のうかって言われた
あの時に、
本当に怖かったあの時にかいだ匂いだ

お母さんごめんね
結局何もできなかったし、
最後までまともな人間になれなかった

そんなダメな人間はいらないよね
お母さんが壊して消してしまおうとした私が、
やっと今なくなるよ

このガスの匂い、
お母さんが死のうとした匂いの再現
最後にやっとお母さんの望みを叶えられる
許してもらえる


自由を夢見て鎖を噛みきって逃げた犬
結局鎖が絡まって首がしまって死んでしまうけれど、
自由は苦しくなってくことだと勘違いして死んでく

自由が苦しみなら不自由だった長い時間が正しかったと思えて幸せだったかもしれない

自由を求めて違う場所に行くことより、
帰るが満たされることなんだろうか



[71] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月27日(金)09時13分10秒   通報   返信・引用

身体にストレスを与え続けて半月、軽く自律神経が乱れてきた

眠っても必ず2、3時間毎に目が覚める

身体に与えてるストレスの副作用として自律神経の乱れがあることは承知していたので精神的不安はない

人の身体ってこんなにも不自然に対して素直に反発してくるものなのかと驚いた

バランス感覚に対して人の身体は相当敏感な模様

たぶん身体に与えてるストレスをやめないと睡眠も普通に戻らないんだと思うけれど、もう少しだけ続けてみる

コントロールが難しくなったら強制的に戻す方法もあるからたぶん大丈夫

よく眠れないという症状に対して私は原因を知ってるので不安じゃないけれど、一般的に自律神経の乱れは自分で作るものではなく環境などによるストレスで起こってしまう症状

何で眠れないんだろうっていう

ストレスに対して何が原因かなんて考えないようにして日常を送ることが多い気がする

環境を変えることが出来ないならストレスの原因を認めた分ジレンマで疲れそう

原因不明の不眠と、そして身体の疲れ

これらが交互に絡み合って余計ストレスが溜まって病んでいくんだろう

一気にぶっ飛ぶんじゃなくて徐々に壊されていく

壊れつつある環境それが近づいてくる足音があまりに小さすぎて気付けずに、

いつの間にかブレーキの壊れた車で坂を下りているような状況とか

逃げたくても逃げられない、環境を変えたくても変えられない

自律神経の乱れを経験してみたかったのでそれは叶ったけれど、今少しくらい精神的にダメージ受けても何もしなくていい生活なので切羽詰まった感じは味わえなかった



壊したくても本能的に壊さないよう指令が出てるからきっと壊れることは出来ない

壊れた時に誰にも助けてもらえないと言う危機感がある

危ない橋は渡らない、と言うか渡れない ビビり過ぎて



ちょっと事態が好転しそうな案件がある

実って欲しいけれど期待すると失敗した時の敗北感や喪失感があるから片手間程度に動向を見守ろう

上手くいけば生涯新鮮な気持ちを劣化させずに生きていける環境が作れるかもしれない

昔は“こんな人になりたい”“こんな職業に就きたい”って理想があってそれを叶える為に頑張ってきたけれど、もう自分で追わなくても向こうからやってくるようになったみたい

願えばアンテナが敏感になって知らず知らず必要なものを集めてる体質になるものだと思った

しっかりと夢を見てよく眠ることが重要なのかもしれない




現実を生きるには絶対ぶっ飛んだ理想が必要だと思う

それがどんなに非現実的なものであったとしても

大切なのは真実ではなく、自分がそれをどう解釈しどう思えるか

内情はさておき自分が信じられたらそれ以上の真実はないと思う



[70] (無題)

投稿者: 投稿日:2015年 3月15日(日)19時50分37秒   通報   返信・引用

失うものが何もない
壊れるものが何もない
作るべきものがない
維持するものがない
守るものがない
何も持ってないこの平穏

誰にならなくても良い
これほど開放的で自分らしくいられることって久しぶり

否定してくる人がいればその人が私の中にない先を知ってる、新しい可能性があると思い、否定されるため形ハズレの最初から勘では登れないと分かってた山ばかり登ろうとしてた


それも放棄して

刺激物は確かに幸せの一つのジャンルに入るけど、
刺激物よりゼロの場所に居ることが落ち着く

不安から解放されるには壊れて欲しくないものを壊し、失いたくないものを棄てることでしか至れない

幸せにへばりつく壊れてしまいそうな不安

二つを失えばいいのだと

それを痛感した

この年齢まで至れなかった境地だから長生きすることは大切なことかもしれない

でも、ぶっちゃけ今が1番心地いいからできるなら私に残ってるエネルギー残量を誰かに譲渡して一抜けしたい



或いは私って単体をやめて何かの一部になってしまいたい
映画パプリカで全てが一つの人格に吸収されてしまう姿が描かれていた
最初はきっと吸収される違和感があるのかもしれないけれど、そのうち意識さえ吸収されて自分があったことさえ覚えていられない
溶けたい

もしかしたら私の身体を構成している原子も同じ悩みを抱えた奴がいたりして
大丈夫よ、私からしたら全てが私に入ってるから
と言うことは私も何かの原子なのか
だとするともうすでに溶けてしまっているのかしら
でも、まだ寂しいと思う気持ちがあるから溶けきってないよね



[69] (無題)

投稿者: 投稿日:2015年 3月15日(日)01時00分51秒   通報   返信・引用

情が入った人たちが壊れていく

まともな時から一緒にいたのに、
病気になったり、
介護が必要になったり、

そう言う姿をみてる時の悲しさ
わたしだけ壊れてないことの寂しさ

不老不死を手に入れてしまった自分の寂しさ

私以外が壊れてく

親とか先生とか
上の立場の人たちじゃなく、
同じ教室にいた
近い人たち
年齢も近い人たちが

人じゃなくなってく
話しかけても
意味が通じない
憧れていた親友さえ壊れて不能になってく

私は至って健康なのに
周りだけが超スピードで死んでく

世界に自分だけ取り残されたらどうしよう
私だけが未来を見るのか

未来がみたかった人は見られないまま死んでくのに

未来に興味がない私が未来を見るのか

目の前にいて触れてるのに、
もう一生笑いあえない

目の前に在ったら終わってるなんて実感しにくい



[68] 家族になりたい

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月14日(土)12時48分16秒   通報   返信・引用

引っ越しを考えてる友だちが2人いる
2人とも凄く好きな人たち
できれば近所に引っ越してきて欲しい
1人が一軒家借りたいって言ってたから叶うならそこにみんなで住みたい
そしたら幸せだろうな

大好きな友だちがそばにいる生活って、
毎日の普通の事がキラキラしてきそう
好きな人たちに作ってもらったご飯食べたり食べさせてあげたり

圧倒的受身で与えられた家族に対して愛着はわかないけど、
好きな人たちを掻き集めて家族になれたら生涯幸せで終れる自信がある

将来を夢見た恋人には全く感じられなかった自信だわ
恋人って女としての価値を試されてる気がしてしまうので
圧倒的な信頼を置くことができない
常に、私でたたなくなったらどうしようって不安や
等価交換だから何かを提供しようとしないと壊れていきそうで
疲れる

江國かおりの“きらきらひかる”で、
ゲイの旦那と彼の彼氏、そして主人公みんなの遺伝子を混ぜて子供ができないかと言う発想があったけれど理解できる気がした

もし大切な人同士の遺伝子なら生涯愛しぬく自信がある
曇りない気持ちを持てる人たちの傍にいたら、
子どもに嘘つかず面と向かえる気がする

子どもを育てる環境はきっとお金も必要だけど、
大好きな友だちの傍にいることが重要だと思った

女友達と飲んで彼氏を紹介されたんだけど、
冗談で今度3人でセックスしようかって話してて、

その彼氏に正直欲情できないけれど、
でもその人としたら彼女と間接的に交われると思ったら興奮してきた
その人の中に彼女の断片があるならそれを吸いたい
女とのセックスには全く興味を持てないし、それに外見が全くタイプじゃない女なんだけど
それでも大好きだから家族になりたいし
遺伝子的には欲しい

もう1人引っ越しを考えてる友だちは男の子で物理的にセックスできるけど、
私が彼とするより、彼と女友達がセックスしたら私の頭の中は最高に気持ちいい
大好きな人たちが交じり合うと思えると頭の中が気持ち良い
彼女としてるのか、それとも彼としてるのか
どっちでもいい
友だちって性欲の対象じゃないから、友だちとセックスするってこと自体が壁とセックスするくらい不思議な感覚だわ


その男友達と女友達は全く面識がないから、みんなで同居生活は叶わない確率が高いけれど 笑

みんな新宿にくればいいなー
そしたら観覧版作りたい(#^.^#)



[67] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月12日(木)10時04分0秒   通報   返信・引用

私も観た

母親の趣味や彼女がレスリングに対して否定的な考えを持つことを皆の前で批判したり、
そうかと思えば練習場に母親が現れると偉大な指揮者に見せようとしたり、あの姿は授業参観で頑張る小学生の姿のようだった
そんな極端な姿はきっと母親への執着の現れだと思う
デュポンはマークと向き合っている時さえ母親の欠片を彼に投射していたに過ぎない

戦闘車の購入や銃への興味などは強さや力の渇望であり、レスリングがどんなスポーツかは知らないけれど素人目からするとやはりサッカーとか剣道とかほかのスポーツより体一貫の勝負、力の象徴のように見える

デュポンが欲しがっていたのは強い自分、そして強い自分を母親に認めてもらうこと

お金があるから兵器などの力は手に入る
お金があるからチームを作りそこから尊敬されているような構図を作り偉大な自分になることができる
マークはデュポンに対して忠実だったがディヴはそうではなかった、平等だった
承認欲求のための駒が刃向ってきたらムカつくだろうね

力の象徴のレスリングの夢はチームに託した
結果は着々と作り上げられていた
母親に偉大な自分を見せられる手前まできていた

そして母親の死
夢の可能性が絶たれた
生涯かなう事のない夢になった瞬間だった

デュポン自身、母親に認めてもらえないことは客観的確率で理解していたと思う
馬とレスリングじゃ求めるものが違う、趣向が違う
ただ、理解をしても納得はできなかっただろう

デュポンに限らず相当なお金持ちって自分の中にある願望に対して素直な気がする
どんな残酷な衝動・欲求も否定せずその感情を認めてるというか
こんな残酷な衝動を持っちゃだめ!なんて偽善的ではないというか

その衝動を理解し認めているのに、実現できないとか客観的確率も理解しているから、
その相反するモノを抱えて生きてると思うと闇が深いだろうなって思う

信じれば叶う、求めれば愛される、そんな優しい世界じゃないことを理解し実感しながら生きることは辛い

マークは信じれば世界の頂点にいける希望があった
叶ってもデイヴに叶わないという頭打ち止めがあったけれど

マークもジレンマを抱え崩壊しつつあった
それはデュポンと似たジレンマだったから呼応し過ぎて崩れ始めたのかもしれない

レスリングチームとしての成功としてディヴの方が有能で必要不可欠だったが、
足りないマークの方が絶対必要要件の忠実を持っているように見えた

実感としての認識、理解としての認識
マークは実感としての認識しかなかった

お金があることで中途半端に叶う力或いは夢があるのに、
結局本当に求めた人間としての力や愛は手に入らない

その叶ったり失望したりの繰り返しだったんだろうな
歪んでいたけれどその根幹の欲求があまりにシンプルでそして深く強いので切なくなった

デュポンの夢は自分自身がレスリングで勝ちたいと思っていたんだよね
究極の夢は自分がレスリングで世界一になること
けれどレスリングの選手になることさえ許してもらえなかった

チームを作り、そして自分もある程度の身体を作り、自分の主催した大会で優勝をする
究極の夢の再現をしているにも関わらず、
現役の選手と言う夢の傍にいるのにも関わらず、
それがオママゴトだと母親に言われる「その大会にアナタ出資したんでしょ」って
オママゴトだと知っていたとしても切なかった
そして堂々たる力と相反するデュポンの萎んで醜い肉体
練習場を弱弱しく走るデュポンの枯れた姿

力の現役にいる人たちの傍にいるから
よりデュポンの弱さが引き立っていた

強く求めていた夢の現場にいるのにも関わらず、
叶うことは無い

夢の現場にいて叶う可能性を持っていたマークとあまりにも相反する構図

マークはデイヴに生涯叶わなくとも愛されていた
デュポンは生涯叶わない上に誰にも愛されていなかった

デュポンの鷲鼻が凄く印象的だった
なぜかお金持ちの男性に鷲鼻が多い印象がある
真偽のほどは分からないけれど、

英国の富豪、上位10人の顔立ちを調べたのである。この10人は生まれも育ちも異なっており、年齢もさまざまだった。ところが、調査した結果、ある共通点が浮かび上がってきたのだ。以下がその特徴をまとめたものである。
【英国富豪に共通する顔の特徴】
男性:わし鼻でひろがった鼻孔、大きな目

こんな記事があった、妙に納得した

因みに、

鷲は、強さ、勇気、遠眼、不死などの象徴として使われ、空の王者や最高神の使者とも考えられた。神話では、ギリシャ神話ではゼウス、ローマ神話ではユーピテル、ゲルマン部族ではオーディン、ユダヤ教やキリスト教の聖書では神、キリスト教芸術では福音記者ヨハネなどに関連して使われた。

ソースはウィキペディアなのでこれも曖昧な情報だけれど妙に納得できる

デュポン自身鳥類学者の一面を持っていたので鷲の力の象徴的意味を作る為に鷲鼻の俳優にしたのではないかと思えてくる



[66] フォックス・キャッチャー

投稿者: K 投稿日:2015年 3月12日(木)03時49分52秒   通報   返信・引用

いびつな映画だった。
鑑賞後、そのいびつさのミソが特殊メイクにあると知った。

不穏な空気は、冒頭から濃厚に漂っている。マークは金メダリストであるにもかかわらず、ひどい暮らしをしている。ひとり薄汚いジムで人型ダミー相手にトレーニングし、食事はファスト・フードのハンバーガーとインスタント・ヌードル。副業の講演で稼ぐのはたったの20ドルで、聴衆の小学生はなんとなく退屈げ。あげく、同じくレスリングの金メダリストである兄のデイヴと名前を間違えられ、相変わらず、自分は強大な兄の影にいる。

金メダリストなのに、まったく割に合わない。マークの力強い荒んだ眼光が、そんな憤懣を饒舌に語っている。ひりつく眼光や溢れだす鼻息がすでに、むきだしのいびつな現実として、暴力の前触れとして伝わってくる。殴打に、荒息。破裂音に、鼻血。いまにも爆発しそうな緊張感が、基調としてこの映画を貫いている。

マークの眼光に劣らずいびつで饒舌なのは、大富豪ジョン・デュポンの鼻だ。大きくて、アンバランス。まるで鼻だけが成長しすぎたような異物感が、妙に落ち着かない。許されすぎた安逸のなかで、きっと鼻だけがだらしなく成長したのだ。そのいびつさは、デュポンという人物そのものが持ついびつさのように思える。
上品すぎて、下品すぎる。中間がない。そんなデュポンの極端ないびつさは、相手に緊張を強いる。つねに相手を見定めるような(鼻を強調するような)下目使いに、話し方は悠長で、そのくせ気忙しい。いつ乱心するのか。気紛れな王と接する従者のように、相手はその“間”が恐ろしい。

淡々とした会話に、沈黙に、きりきりと胃が締めつけられる。デュポンのすべてを裁き尽くすような表情に、崖下を覗きこむような恐怖を感じる。暴力的なまでの無表情が、相互理解を拒絶している。孤独を積み重ねすぎて、なんの期待も抱かない。肥大した虚に呑まれて、絶望さえも見失っている。

銃声が虚しい。装甲車の力強さが虚しい。きりきり一杯に虚無が溢れだしそうで、救いようがない。みていると息を吐くのをつい忘れて、過呼吸気味になってくる。

デュポンの王じみた鼻とマークの牛のような眼光が出会い、静かにぶつかる。いびつさといびつさが出会い、手と手を取って高邁な理想を分かちあう。互いを愛撫するように(それこそゲイカップルのように)求めあい、コカインを吸ってなげやりな諦観を共有しあい、束の間、つながりあう。しかし突如として、破局が訪れる。幕が下りるように、あっけなく。まるですべてが虚だったように。

デュポンにとって虚は、日常だった。金でなんでも買えた。しかし愚直なマークの日常には、実しかなかった。マークにとって不幸そのものだった破局も、デュポンにとっては気紛れでしかなかった。その差異がすでに、悲劇だった。

孤独が、デュポンを殺人者にしたのだろうか。
たびたび暗示されるように、暴力はそもそも世界に内在している。レスリングは、信じ合って“つながる”ことで暴力をコントロールする。だから“つながり”が断たれれば、暴力は容赦なく現前する。そしてそのスリルは(いわばエンターテインメント性は)、この映画のスリルでもある。いつ爆発するか。いつ裂け目から暴力が噴き出すか。

つながりを失った人間は、非力だ。そのくせ、いやだからこそ、見境なくどこまでも突き進んでしまう。だから暴力をコントロールするために、人は人とつながる。手と手を取って抱き合い、慰め合う。(つい先日みた『アメリカン・スナイパー』、米兵たちは銃弾の飛び交う戦場で冗談を言いあっていた)

そして幸いマークには、兄がいた。鼻血を流しながらも、弟の反抗期じみた暴力を優しく受け止めた兄がいた。愛するがゆえに頬を引っ叩く、そんな兄がいた。マークには兄がいたから、踏み止まることができた。

一方、デュポンに真の理解者はいたのだろうか。
デュポンはそのいびつさゆえに、自身のうちの暴力を押しとどめることができなかったのではないか。

いびつさという不気味なリアリズムが、心に突き刺さった。



[65] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月10日(火)18時40分25秒   通報   返信・引用

天国って存在があるけれど天国なんて怖くて行きたくない

天国が天にあるならば下に地獄がある

地獄が存在するならそこに落ちる可能性もゼロじゃない

というか天国が存在するから地獄があるとも言えるので、
両方をひとまとめにしてゴミ箱に捨ててしまいたい

そんな世界感が消え去って欲しい

それに天と言う限界点が嫌

天の上は宇宙にでて単なる空間

空を消してほしい


天国を想像するのってかなり強欲だよね
そんなんだから地獄にも落ちるんだよ

絶望した人間が天国を望むだろうか

昔読んだ小説、最初から最後までキチンと不幸になって絶望していくものだったけれど、その結末に主人公が満たされる瞬間が最期だった

終わることへの安心感だった
その結末が妙に納得できる気がした


全てが一長一短表裏一体だと思っているから、地獄を作らないために天国も作りたくない
無くなりたい

あ、それが私の天国なのか・・・・

今は失恋で精神がやや不安定だけれど、
こんな不安定や不幸とセックスすることで新感覚や言葉が生まれるので実は辛いことは嫌いじゃない

自分にとって想像を生むためには違和感が必要なんだよね
違和感って幸せではないけど気持ちいい

あとはお酒が欲しいね



[64] 波動感染

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月10日(火)13時17分26秒   通報   返信・引用

最近イスラム圏でのことがよくニュースになっているけれど、ロマンチックに言えばその世界と私は同じ空の下にいる

空気って繋がってるから小さな血の匂いを私は吸ってるんだと思う

渦巻く濃い感情が波動になってどんな遠くまでも揺れて伝わってきっと感染してしまうんだと思う

洗脳とか宗教ってきっと空気を吸ってる時点で感染が始まってるから、どの時点で急にクレッシェンドしていくか分からない

それへの対策をしておかないと一気に私を持っていかれてしまう

と考えたのでしっかりとオリジナル宗教を確立しておかないといけないと思った

懺悔は色んな宗教にあるものだろうけど、許しを請うという行為に関しては今の自分でも違和感なく受け入れられる感覚

その懺悔を行う場所とそれに対しての許しを実現すれば個人的宗教の成立だと思う

懺悔をするだけだと許してくれる人がいないから、許してくれる人を求めて他人の宗教に自分を持っていかれてしまう

懺悔し許されるという行為が確立されれば、その許しを発行する相手が誰に変わろうとも私を守ることができる

濁った空気の中でも気持ちの感染は防げる

今その確立のために色々調べておる

行為は精神の確立になる

形から入ることは重要だと思う



[63] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月10日(火)11時56分54秒   通報   返信・引用

地獄につてい大雑把な認識しかないけれど
構成要素一つとして“無限ループ”がある

永遠に終わらない苦しみ、みたいな

よく考えたら記憶は無限ループだよね

ずーーーーーっと同じことが再現されてる

薄まったり美化されたりは多少あるかもしれないけど

それを考えたら今現在が記憶の再現であるかもしれないと思ってきた

自分は無限ループの繰り返しの中にいるのかもしれない

再現をしていることに気付いてない

生きてなくて誰かの記憶の再現者、演者なのかもしれない



そして
この再現の存在に気付いた人、或いは記憶の持ち主が
記憶と言う人の身体の中に存在する無限ループっていう地獄を壊すために
誰かを雇って壊すかもしれない

そしたら私は死ぬんじゃなくて、消えるんだね
壊されるのか


人格を持っているという勘違いをしている私の記憶を演じている誰か
可愛そうだから私は地獄を壊すことはしないけれど

記憶を壊すとどこに歪が出てくるんだろう
記憶を壊す職業の人はどんな職業病に悩まされるんだろう



[62] ビビッてること

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月10日(火)07時03分26秒   通報   返信・引用

私は母親のやや神経質で型真面目な世界の下で育ち、母親の価値観に反した自分が悪い人間だと思っていた時期があった

母親に「あなたは病気だと思う」と言われた時に凄く怖かった

認識としてややパニック障害とか強めの人見知りとかはあるけれど、生まれ育ってこのかた正しい人だと思っていた大人である親から「病気だ」と言われたらやはり自分が欠けた人間なのだと思って怖かった

親は仕事もしているし教師であり保健室のオバサンと言うある意味心の折れた子どもを相手にする人でもあるから、そんな色んな子供を見てきた人から「ゆりは発達障害だと思う」って言われたら、そうなのかなって思ってしまう

そしてもし私が病気だとしてもそれを個性ではなく“病気”だと思われてしまうんだと思ったら怖かった

だから未だに母親のそばにはよりたくない

信頼して正しいと思った人に否定されるのはまだ無理

今になってやっと気付けたのは、母親を凄く怖がっていた時期、彼女はうつ病だった

病気の人に病気だと言われたと思うと、冷静じゃない人に
言われたことだからと肩の荷が下りる思いがした


そして、
私が子供のころ彼女は30代だった


今私が28歳
きっと30代なんて体力も余っていて感情の起伏に使うエネルギーも沢山あり、そして大人な身体を持っているからいかにも大人に見えるけれど

今の自分を見ればまだまだ大人になりきれてない、冷静になりきれていない事が分かるから、


私を否定した母親のあの頃の状況を想像すれば、
許せなくもない


今は理解できる
けれど納得はまだできない


あの頃の否定が今の自分の性癖を作っている気がする
もう考える事からブチ切れて
「ダメでクズな私を許してください」と言うスタイルが、
性欲として成立し、根幹の精神とは無関係に、
許されているっぽい状況に欲情するという一人歩きを始めてしまったものね

私の性癖は母親に作られたという 笑



[61] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月10日(火)06時33分18秒   通報   返信・引用

守ることが結果として壊してしまうという
未来の結果を失わないために、そして関係性の現状を維持するために必死に守ろうとしてきたけれど、逆に現在が見えなくなっていたことに今更気付いた

先を見すぎると足元が見えない

前住んでいた西新宿の夜道を歩いていて、思い出があちらこちらに転がっていて、この場所にある思い出を読み返してみると、私を知ろうとしたり理解しようと頑張ってくれていた時の彼の姿を思い出す

人前で食べるのが苦手だった時期に、そのプレッシャーを緩和するために昼間からビールを飲むことを許してくれた時とか、食べやすいように切り分けてくれたりとか、さまざまな配慮を施してくれた姿を思い出して泣けてきた

その配慮は私に向けられた思いだと思うから

一緒にいる時間が長くなればなるほど、そういう相手の気持ちに感謝を持てなくなる

幸せを感じればより貪欲に欲しがる

恋人でいることは、きっと自分が気付いていた以上に相手からポジティブな感情を抱かれていたと思いたい

理解しようとする姿はきっと最後まで変わらなかったと、今になって気付く

それが見えなくなっていた自分が情けない

大好きとかそういう感情より、人として認められていたことが今更嬉しく、そしてその時にその存在に気付けなかったことが悔やまれる

守りに入れば形を整えることばかりに気がいってしまい、本当に美味しい感情に気付かなくなるという

失うものがなくなった方が素直に笑えるという事実

恋人になることは成就したという客観的な結果としての満足感があるけれど、

それが壊れていく、気持ちが薄まったり廃れていくことを想像するスタートラインに立たされることと

幸せや好きだと思う気持ちは瞬間であり情緒の波もあるので、
確実に相手を常に思っていることなんてできないし

それにその気持ちがどこまで継続していくかって保証も出来ない

それを知っているからどんなに濃い感情を抱いたとしても
それが一瞬にして壊れて消えることがあることを知っているから

そんな残酷な仕打ちはされたくないと思うから

やはり、関係性をハッキリさせると責任がわく気がするので
相手を思いたいならきっと無責任でいることが
素直に相手を思える環境作りなのだと思った

きっと恋人でいた時より、今一緒に飲めたら手放しで素直に好きだと思える

彼がどんな人であっても全肯定していかないと成立しない世界は捨てたから

守ろうとすることによって失うものが多いこと
無責任でいることでより相手を好きだと思えること

気持ちや感覚に忠実になっていくことは社会性に反していくということを実感として理解する

お父さんお母さん、娘はこんなクズですが、人に思われ大切にされた経験をしたことがありますよ

欲しいと思われたことがあり、私がいる未来を描いてくれた人が世の中にいたことを本当に希少な経験としてファイリングしておきたいくらい

そんなありがたい経験が自分に降ってくることが不思議
これが本当に私の人生なのか

経験として存在したけれど、ま、終了はしましたけれどね




と言うか、こんなクズな日記をここに書いてしまっていいのかね
掃き溜めに使い過ぎだよね・・・・



[60] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月10日(火)06時25分9秒   通報   返信・引用

自暴自棄になっている部分が少々あるとしても、お酒が抜ければある程度は平静が訪れる頭で考えること

恋人と言うくくりがなくなったからこそ、自分の中にまだ売れるものがあれば売りたいと思う

どうして今までこんなに出し惜しみをしていたのかと思うけれど、それは恋人と言うくくりに所属していたので当たり前だったと思う

今思えば、人を好きになることはいくらでもできるので今は相当自由な時間で

そして恋人と言うそのくくりから解放された今思うのは、まだ自分に売れるものが残っているなら買ってくれる人がいる内に売っておけと

友だちに話したらそんな悲しい事言うなよって言われたけれど、売るものがあることがどうして悲しいか分からない

どうせもうしばらくしたらそこにいる事さえ気付かれない、寧ろ腐敗臭がするから顔を背けられるような存在になっていくのだろうに

昔のように自暴自棄になっていつ飛んでもおかしくないような事は出来ないけれど

出汁を取った後の肉みたいに味としてはクソまずくとも、まだタンパク原としてだけなら使える

昔は美人しか換金性がないと思っていたけれど、大人になって隙間産業と言う存在に出会えた

さて、自分はいくらになるんだろうと

いい年こいてアホだと思うけれど、そしてこの価値観で生きることはこの先つらいことだと思うけれど、それでもある程度までは対価がハッキリした世界で生きてみたい





[59] 情緒の行き来

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月10日(火)06時03分15秒   通報   返信・引用

不安定とそうじゃないところの行き来

失恋って理解ができてもすぐに感情がついていくことができない

直近の元恋人は、昔の2人とは違い連絡の取れる関係性にある

好きになって恋人であった事実と、そして話せば触れられる優しさに殺意を覚える

関係性が死んだのに相手が存在していること

今まで付き合ったことがあった人は、事実とうすぼやけた記憶と音楽を残して跡形もなく消えてくれた

嫌いとか後悔って感情は好きだった人に一切持ったことがないから、連絡が取れなくなったり私の世界から消えてくれないと残った感情があまりにも不憫だ

人を好きになったという事実、そしてその相手から認められたことがあるという事実が、寝て冷めたら夢であってほしいと思う

全て夢であったと思いたい

自分の人生に春はなかった

幸せがあったと思うと現在が辛い

お願いだから気持ち悪い、こんなクズとやってたと思うと吐き気がするくらいのことは別れ際に言って欲しい

そうしないといつまでも夢の中から出られない



[58] お金で買う

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月 8日(日)17時59分34秒   通報   返信・引用

先日、友達とミシュランガイドに載っているお店で飲んできた

と言うか、言ったお店が掲載店だったとは後から知ったけれど、確かにファーストフード的な居酒屋と違うゆったりした空気感は好感が持てた

何だか不思議な感覚だった

ミシュランに載っている店だからと言って確実に美味しいとかそういうのは別として、一応レンチン居酒屋とは違って料理に対して真面目に取り組んでる店だと思うんだけど、

そういうお店に提示金額さえ払えば私でも同じサービスが受けられるということが細やかな驚きと言うか

作る側が思いを込め丁寧に作業し作られた逸品を、味わえるほどの舌も持たず、生活もズボラで大雑把でだらしない自分も受け取れるということが不思議で仕方なかった

お金があれば私がどんな人間であれ気持ちを買うことができるということか

なーんか不思議

腰掛アルバイトだらけの居酒屋は確かに気持ちが楽

私も味わうつもりもないし酔うために飲む酒だし、丁寧に何かに取り組むこともない荒れてる生活には、気持ちを大切にして給仕されるのは心苦しい

適当な心持で適当に対応してくるところで適当なものをいただく

そういうスタンスでいたから、先日行ったお店はちょっと不思議な感じがした

気持ちはお金で買えることと、そしてそういうお店に行っても違和感のない“大人”になったんだという、またこれ不思議な感じ

1食何百万って言われたら一生ご縁がありませんと言い切るけれど、蕎麦屋で高いと言っても自分のお金で食べられないわけではない

不思議だわ

自分のお金で気持ちが買えるとか・・・・・



[57] 可能性

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 3月 1日(日)03時06分7秒   通報   返信・引用

世の中は過剰なポジティブキャンペーンに常に躍起になっている


前向きだとかポジティブだとか努力だとか頑張ろうとか


それについて違和感を感じると怠惰だの甘えのジャンルに入れられる


価値観は二極な訳がないし、中身に対して考えないままのポジティブ思考は宗教か或いはスポ根だ

クスリでも打ってハイになれって言われているようなもんだ


言葉は認識として必要だけれど、言葉にした途端その意味の持つ味に枠がついてしまう

味に形なんてないはずなのに、それが形になってしまう

世の中分かりやすくそして経済効果を狙ってか、単純かつ極端な言葉でものさしを作ろうとする

リア充・非リア充、勝ち組・負け組、そうやって二極に分けられたらどちらかに属するように誘導されてしまう

割合は常に0:100

そんなレールに乗せられて世の中ゲームのように作られていく

ミッションがあって、そのミッションを多くこなしてアイテムを手に入れた方が優秀とされる

アイテムを手に入れられなかったら格下げ

格下げされたらちゃんと負け組っていうレッテル分類する言葉が待ち構えていてくれる

工場の流れ作業にのっけられているのと何ら変わりがないんだと思った

逆に、こういうシステムだと理解すると、自分の居心地にいい場所ってどこかにあるのかもしれないと思える

このシステムは宇宙の原理ではない

居心地のいい場所がどこにあるかどんなものなのかは想像がつかないけれど、今私がいる場所のシステムはたくさんある中の一つに過ぎないと思うから


宇宙にどれだけ惑星があっても宇宙を埋め尽くすことは出来ない

それと同じで言葉がどんなにあっても感覚は拾いきれない

価値観だって統括できるわけがない

そう考えると埋め尽くせない空間に自分の居場所の可能性を想う


逆にこのミッションを理解すればここで充実感を得るのはそこまで難しいことではないのかも

久しぶりに本を読んだところ、今の息苦しさの理由が最初の10ページで解決されていた

加賀乙彦って便利だわ



[56] しくさ

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月26日(木)10時24分55秒   通報   返信・引用

食べることって結構難しい


私の場合理由が二つあって、一つは食べ物は気持ちの満たされなさを補ったり不安を解消する道具として使っていた時期があった

初めて認識したのは、中学校の時にずっと母親に食べさせてもらえなかったカップラーメンを内緒で食べた時だった

あまりに美味しくてびっくりしたことを覚えてる

大した味じゃなかったはずだけど、禁忌を破ったと言う意味を強く感じて頭で食べた瞬間だったと思う

味わう事よりカップラーメンを食べることで自由になるというか

中学校の時ってエネルギーが有り余ってるのにその解消場所が無かったり、小さな世界での勝ち負けに日々一喜一憂したり

そういう不安定な時期の解放道具だった気がする

三食家のご飯を食べて、夕方親が帰ってくるまでのわずかな時間に、最高七個食べた記憶がある

そりゃ太るわ

でもやめられなかった

その時のインパクトが強くて、食べ物は味わうってより精神的満足のための道具としての認識が未だに脱げない


気持ちの補足のために食べるなら、その姿は味わうそれじゃなく夢中で貪る汚い姿で

それが恥ずかしくて人前でご飯を食べるのが苦手だった

人とご飯を食べて食べたい願望を抑えると、そののち反動で食べてしまうから



食事が苦手な理由のもう一つとして、何かを食べている姿って凄く性的な感じがする

これは突き詰めて考えると吐きそうになるからやめとく


嘔吐で解消するという意味なら、今まで拒食症や過食症になったことはない

ただ、食べ物を噛んで飲み込まず、胃に入れず、吐き出すという行為をしたことがある

すると、味を感じるのは舌だから別に中に入れなくていいんじゃないかって思ってくる

太る不安がなくなる

それを初めてした時から、自然と喉が塞がる感覚になった

それをチューニングと言うけれど、「チューニングしよう」と思わずとも体が自然とその耐性を取るようになった

こうやって拒食や過食は度を増していくのかと成る程と思った


食べる事ってどうしたら正しく食事になるのかってことは誰も教えてくれない

食べる事は一生離れることができない行為なのに、一度認識をしくじると長く苦しめられることになる

拒食、過食の人たちが立ち直るのに十年かかるって話はざらに聞くし、凄く難しい問題なんだと思った



母の学校の生徒が今140cm24㎏と言う生命に影響するくらい拒食が進んでいるって話を聞いて、考えてみた



[55] そばにいること

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月25日(水)12時36分14秒   通報   返信・引用

徹子の部屋に陳健一が出てた

有名な中華料理人らしく、その父親がまた偉大な料理人で一代で大成功し地位を築いた人

話を聞いてて思うのはプロって作家なんかより美味しくて色っぽくって匂う言葉をたくさん使う

よくそんな表現ができるよなって思う

その言葉が生きていて美味しいのは、おそらく自分の中から湧いてきた言葉なんだろう

痛感して自然発生してきた、他人の言葉ではなく自分自身の言葉だから響くんだろう

有名になる人はパフォーマンス上手魅せ上手な面もあるだろうけれど、そういう型にハメて空気をクレッシェンドさせる技ではなく、

言葉が生きてて夢中になって聞き入ってしまう

そういう言葉を産むためには、ずっとひとつのことに寄り添うことなのかもしれない

料理人ならずっと料理の傍にいること、片時も離れず傍にいることが重要なんだろうと思う

それしか知らない、それしかできない、でもそれしかできないことが凄い

信じる信じないなんてレベルじゃなくて、疑いようもなくただただ傍にいること

それがプロであり美味しい言葉を産む秘訣なんだって思った

何かの傍に何十年もいたことがまだないから、それに好きになりきったことがないから、言葉がペラペラなんだろうなって思った



[54] ゴーホーム

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月23日(月)10時03分12秒   通報   返信・引用

ある話を聞いて、両親や他の人たちだってそして自分自身も世の中クズしかいないなと思った

落ち込んで思考が凍結していたけれど、

引っ越しが具体的に実現性を帯びてきてから気分がパッと晴れた

やっと新宿に戻れる

練馬は穏やかで暮らしやすい程よい街だったけれど、最後まで好きになることはなかった

ここで作った思い出から離れたくなかったからこの場所にとどまっていた

けれどその貯めこんだ幸せな記憶とそしてその量が逆に現在の重荷になっていたので街ごと捨てられるいい機会

練馬に越してきたときは自由に泣けないってことが凄く嫌だった

規則正しく眠る街は不規則がより異様に映る

感情は善でも悪でもないけれど、それを自由に開放することは理性的で統制された場所では若干悪にうつる

嫌な事はたくさんあったのに泣きたくてもそれを飲み込まないとここには居られなかった

新宿は変な人の方が多いから無個性さえ個性的で

何をしていても「そんな人もいるよね」って軽く流してくれる

昼夜問わず、私が眠る時が夜で目覚める時が朝だ

いつだって動いてる街だから精神的に太陽の昇る時間を自分自身が決められる

早めに荷物まとめよう

色々捨てよう

読んでない本も捨てちゃおう



こんなことでパッと感情が変わって凄い

こんな急速に変わってしまうなら何かを思い続けることも、憎み続けることもできないんだろうと思った

人を嫌いになるのも恨むのも人を愛するのと同じくらいエネルギーが必要だと思う





[53] 祈り

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月21日(土)12時37分16秒   通報   返信・引用

祈るをコトバンクで調べたらこんな解釈が出てきた

1 神や仏に請い願う。神仏に祈願する。
2 心から望む。願う。

祈りと言う言葉を肌の傍に感じたことがあるだろうか

正直今まであまり感じたことがなくて、

でもどうにもならない時にこの単語が漠然とわいてくる

祈り方なんて分からない

手を合わせて思えば祈りになるんだろうか

どう思いを馳せればいいか、どう言葉にして頭に浮かべればいいか、

祈りの感覚が分からない

と言うか、神仏に祈りたいことなんてない

違うな

神仏と言う存在自体が言葉にされて規模を縮小されて掴めるもののように感じてしまうので、漠然とした大きな何かに祈りを捧げたい

捧げるという言葉は

1 両手に持って目の高さより上にあげる。
2 慎みの心をもって、神仏や目上の人などに物をさし出す。たてまつる。献上する。
3 まごころや愛情を示して相手に尽くす。
4 自分の持つすべてを惜しみなくある対象につぎこむ。
5 高くあげる。
6 高い大きな声を出す。

大体に共通するのは目よりも高い位置に惜しみなく尽くすということか

祈りは高みに思い尽くすという事か

どういうことだ・・・・



[52] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月20日(金)06時26分39秒   通報   返信・引用

飼われていた犬の鎖が千切れて自由になったとして

それでも首輪が外れていないのに気付かないまま

自由だと勘違いして走り回って

まだ残ってた鎖の欠片に首を絞められて死んでしまう事もあるのかもしれない

何で苦しくなっていくのかが理解できない

自由とは苦しみなのだろうかと思うながら死ぬのかしら




呼吸をして社会的仕組みの行事を毎日規則正しくこなしているとあたかもしっかり自分が存在して生きてるように感じる

けれど、もしかしたら自分は過去に死んでしまったのかもしれないと思う

失ったものは失ったことさえ気付けない

もしかしたら希望を持って考えれば、この停止状況の打開は正当な成功や幸せを追うことではなく、不協和音を注入することでバランスが戻るのかもしれないとか考える

でもその配合なんて誰にも分からないし

中途半端に停止しているなら完全に恐怖→刷り込みの作業で余計な事を考えない自分を作ることが良いのかもしれない

嫌なことがあった時は言葉にすると落ち着く

あったことを綴るより、その不安定な感情をガソリンにして想像遊びすると落ち着く

漠然とした存在のままだとつかみどころのない不安になり

空気が重くなってくる

酸素カプセルっぽい感じで心地よい夢を売ってくれるところができればいいのにな

意識のコーディネートしてくれるとことがあればいいのにな





[51] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月20日(金)05時46分52秒   通報   返信・引用

美しさが存在すると、その事実を漠然と私の中に教えてくれたのは君だった

もし叶わない愛情を抱いた場合、それを手に入れることを何よりも優先するなら

人は恐怖で縛るしかない

離したくないものに対しては少しずつ、そして段々不安を注入していくしかない

恐怖で人を操るってネタは使い古されたものかもしれない

そういう小説が読みたい

人を縛っていったら縛った本人もその綱に引っ張られて堕ちていかないんだろうか




幸せな夢を見た

海の底で眠る夢

そこには傷ついた人たちがたくさんいて、のんびりその人たちと話した

空気も澄んでて程よい水の動きと

心地よさがあった気がする



[50] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月20日(金)05時16分6秒   通報   返信・引用

過去の過ちから生涯解放されることはないかもしれない

実際その過ちを認識しながら生きることは苦しみ以外の何物でもない

だから忘れようと現在で過去を塗りつぶそうとする

時が解決してくれるなんてそれは嘘だ

今こうやって平静でいられるのは、過ちの重さ以上の錘を過去に蓋した上に乗っけて、ちょっとしたことじゃ開かないようにしてあるからだ

それは確かに頑丈でちょっとのことじゃ一ミリの匂いさえ外に出さないようにしているけれど、圧倒的に、そして確かに私の中に存在する

もしかしたらどんな錘を乗っけたところで、ひょんなキッカケでそれが開いてしまうのかもしれない

過ちに対して懺悔が役に立つだろうか

そんなのは役に立たない

納得して決別できるだろうか

それは期待が持てない

私が犯した過ちは生きている限り消えない煩悩のあそびだから

痛みは消えても事実は消えない



[49] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月19日(木)23時19分57秒   通報   返信・引用

感覚として信じられることは痛みなんだと思う

ゲロが吐きたい

自傷癖はないけれど、自分じゃ自分のことを傷つけることはできないけれど、

生きるに執着した必死な瞬間が結構幸せ

温もりや暖かさなんてオンリーじゃなくて、

でも、苦しさや痛みはその瞬間を感じられる

怖くて苦しいけど

その瞬間に集中していられる

何もわからなくて、

でも痛みを感じられて

私がいる

と言うか、無駄な事を考えず“生”にすがってられる

愛されたいとか安心したいってより、結局はここに居ることの認識が欲しい



[48] (無題)

投稿者: みさおさん 投稿日:2015年 2月19日(木)14時47分16秒   通報   返信・引用

匂いはそれを取り入れて自分のものにしてしまうと実態を失う

他人でいた時は香りに魅せられるが纏ってみると存在を微かにしか感じられなくなる


好きな人とひとつになりたいという思いからその人の中に入りたい混じりたいと思う事があったけれど、混じってしまったら思いの所在も失せてしまうんじゃないかと思った

その人の感性感覚の中に入って世界を見てみたいと思ったけれど、そこに入ってしまったら私との違いに気付けなくなりそう

と言うか私に気付けなくなりそう

自分の感覚を失わず相手の感性に寄り添うって凄く難しいことなんだね

中に入り過ぎず、完全に入りきらず、少し自分を残したまま相手の感性で世界に触れてみたい


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